髪型はいつもワカメちゃんカット、ランドセルも買ってもらえず、パジャマのような服で学校に通わされた時期も……。

 両親が統一教会への信仰活動にのめり込んだ結果、子どもながらにして貧困を強いられた宗教2世・小川さゆりさんのエピソードを紹介。彼女の壮絶な半生を綴った初の著書『小川さゆり、宗教2世』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

「他の家庭より貧しいのだと感じた」彼女の子供時代とは? ©小学館

◆◆◆

ADVERTISEMENT

惨めに感じた子ども時代

 学校での私は家や教会で祝福された「神の子」ではなく、むしろ自分はみんなよりも劣っているように思っていました。

 私の家は他の家庭より貧しいのだと感じていました。

 まず保育園や学校に必要なものを、みんなと同じように買ってもらえないことが惨(みじ)めでした。

 私が3歳頃から通っていた保育園では、運動会で着る緑色の体操服を、私だけが買ってもらえず、白いTシャツと水色のズボンを穿(は)いていました。

「運動会のときだけしか着ないのに高い」

 両親はそう言って、体操服を買ってくれませんでした。

 運動会当日、整列しているときに、友達が寄ってきてこう言いました。

「なんでさゆりちゃんだけ体操服じゃないの?」

 そうすると、保育園で一番最初に友達になってくれた子が、「別にいいじゃん」と私を庇(かば)ってくれました。

 私は友達に聞かれて恥ずかしくて怖かったこと、同学年の友達に庇ってもらった嬉しさと悲しさ、お金の問題という自分ではどうにもならないことを指摘されたような思い、それに自分の両親までもが否定されたように感じ、いろいろな感情が溢れて、泣き出してしまいました。

ファッションに全く興味がない母

 ランドセルも買ってもらえず、きょうだい全員が親戚からもらったおさがりでした。それでも、入学が近づいて赤いランドセルが段ボールに入って届いたときは嬉しくて、私は家にあった絵本やはさみ、のり、鉛筆を詰め込んで、家のなかをスキップしていました。

「お母さん見て見て」

 ランドセル姿を母に見てもらいたくて、何度も見せに行きました。母は「良かったね」と笑いかけてくれました。

 母が「さゆりちゃん」と私を呼ぶ声はいつも穏やかで、私は母のその少し高くきれいな声が好きでした。何をしていても「すごいね」とたくさん言ってくれる母を私は愛していました。