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なぜ新木場は“木の町”になった?

 新木場が木の町になったのは……などというとくだらない言葉遊びをしているようだが、ここはきちんと確認しておかねばならない。もともとは、“新”のつかない木場の町にルーツがある。

 江戸時代の初め頃、江戸の町が大火で燃えて、その再建で材木の需要が急増。需要と供給のバランスで価格が高騰してしまった。そこで管理を容易にするために、江戸各地に点在していた材木商を深川に集め、“木場”を設置した。これが“新”のつかない木場のはじまりだ。

 

 江戸の町の建物は、武家屋敷も町人長屋もどちらも木造だ。それでいて火事と喧嘩は江戸の華。火事で燃えれば建て直さねばならず、木材の需要が切れることはない。そうしたわけで、木場は年々拡大し、紀伊国屋文左衛門などの豪商も生まれている。

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 明治に入っても木場が東京でいちばんの木の町だったことは変わらなかった。ただ、戦後になって東京湾に新しい埋立地ができると材木商たちはこぞってそちらに移転した。それが、いまの新木場というわけだ。新木場は、最初から木の町として形作られた、文字通りの“新木場”なのである。

 

じゃあ“木材以外”には何がある?

 といっても、新木場駅の周りがすべて木材関連というわけではない。駅の西から南に下って千石橋で運河を渡ると、大きな倉庫や工場などが建ち並ぶ、臨海部の工業地帯・物流拠点らしいゾーンに入る。路肩には全国各地のナンバーをぶら下げた大型トラックがずらりと並ぶ。

 

 そうした一角にあったのが、「新木場の“ageha”」だ。東京のクラブシーンをリードした……とかなんとか、それっぽいことを言うほどの知識の持ち合わせはない。が、こうした工場や倉庫の多いエリアはクラブなどのイベントホールにもふさわしい。

 夜遅くまで大きな音を出しても苦情がくる恐れがないし、倉庫や工場などの跡地の活用にもうってつけ。バブルの象徴たる芝浦ゴールドやジュリアナ東京も、芝浦の倉庫街の中にあったくらいだ。新木場のagehaは2022年1月に閉館してしまい、いま跡地は更地になっている。

 ageha跡地の向かい、千石橋のたもとには、バーベキューもできる公園がある。新木場駅の周りを歩いていると、バーベキューに赴くのであろう若い人たちが歩いているのをみかけたが、agehaの存在もあったし、新木場は意外と“若者の町”でもあるのかもしれない。