駅に戻っていざ、“埋立地のゴミ処理場”「夢の島」へ
このあたりで新木場駅に戻る。そして線路の高架をくぐって、首都高速道路湾岸線を続けてくぐる(つまり湾岸道路を渡る)と、そう、いよいよ夢の島である。
夢の島というのは、新木場駅がある埋立地(東京湾14号埋立地)のうち、湾岸道路より北側を指す地名だ。そこには南北に明治通りが貫いていて、ほかは一面が公園になっている。アメリカの水爆実験で被爆した第五福竜丸の展示館もあり、地下にはゴミの処分場。首都高も通っていて交通の便にはまったく問題なく、まさに社会科見学にうってつけといっていい。
では、どうしてこの埋立地のゴミ処理場が「夢の島」というのか。これにも答えを出しておかねばならない。
新木場や夢の島と呼ばれる埋立地のはじまりは、1930年代後半に遡る。埋め立て工事がはじまった当初、目的はゴミでも木材でもなく、“飛行場”だったという。
当時の(というか今も)東京の空港は羽田だけ。が、当時は羽田空港の拡張は難しいと考えられており、さらに都心部からいささか遠かった。そこで、もっと都心に近い場所に広大な埋立地を設けて、新しい飛行場を作ろうと計画された。それが、現在の新木場・夢の島だ。
“飛行場”だった場所に何が…
ところが、戦争によって飛行場建設は途中で頓挫。埋立工事は半ばまで進んでいたが、何の目的もない20万㎡の土地だけが東京湾に浮かんだままに終わってしまった。戦後はGHQの主導によって羽田空港の拡張がスタートすると、いよいよ本格的に目的を失った埋立地。そこに生まれたのが、海水浴場だった。
1947年という戦後間もない時期ではあるものの、復興に向けて歩みをはじめた人々にとってレクリエーションこそが必要という考えのもと、「夢の島海水浴場」として大々的にオープンしたという。これが、「夢の島」の名前のはじまりである。遠く房総も望める風光明媚な人工島の海水浴場。戦後直後という時代背景も含めて考えれば、この名前はなかなかふさわしい。
ところが、海水浴場はたった3年で閉鎖されてしまう。まだまだレクリエーションに時間とお金を割くほどの余裕がなかったのかもしれない。