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《「藤井キラー」が徹底分析》羽生善治は藤井聡太を相手になぜ不利な「一手損」を選んだのか?

2023/06/06
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「読み」は“貝殻探し”

 私は、藤井さんの登場で、将棋というゲームの考え方がガラリと変わってしまった気がしています。

藤井聡太六冠 Ⓒ文藝春秋

 これまでの将棋は、2人の対局者がどちらも「間違える」ことを前提にしていたところがありました。人間は不完全ですから、必ずミスは出ます。それは仕方のないことであって、もしも自分が先に間違えてしまったら、相手がもっと大きなミスを犯すように仕向ける。そうして、最後にリングに立っているのが自分であれば良い。私は、将棋とはそういうゲームだと考えていました。

 藤井さんは、その「人間は間違える」という前提を崩しつつあります。彼はほとんどの局面で、最善と思われる手、あるいはそれに近い手しか指しません。藤井さんのように、ほぼ間違えない棋士が現れたのは、私にとって非常に衝撃的でした。

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 藤井さんの間違えない力は、圧倒的な「読み」の力に基づいています。この「読み」について分かりやすくイメージするために、将棋を、海での貴重な貝殻探しにたとえて説明します。

 いま、砂浜にはたくさんの貝殻が落ちていますが、それは誰でも見つけられるもので、あまり綺麗でもありません。珍しい貝殻を探すためには海に飛び込み、深く潜っていく必要があります。そして、海底で高価そうな貝殻を発見しては岸に戻り、さらに良いものを求めて、また別のところを探しに行く。これを丹念に繰り返すことで、最高の貝殻を手に入れることができるわけです。

 先を読んでいる棋士の心境は、これに近いものがあります。ようやく探り当てた手がどれだけ良いと思っても、他の地点を探せばもっと良い手があるかもしれない。普通なら、どこかで作業を切り上げざるをえないわけですが、藤井さんは、広い海に何度も深く潜りに行き、最善の手を探し出してくるのです。

 よく指摘されるように、藤井さんの強さには、将棋AIの発達が大きく影響しています。AIは、ある局面を見ると、高い精度で瞬時に最善の手を教えてくれる。近年、棋士たちは日ごろからAIを使った研究を行い、藤井さんのように「いかに間違えないか」という点に力を注ぐようになりました。

 もちろん、AIによって将棋の可能性が広がったのはたしかです。しかし、その反面、最善の手を逃してはならないというプレッシャーが、棋士たちには重くのしかかるようになりました。