「USJなき頃」の面影は…
桜島一帯がいま以上に工業地帯だった頃、そして桜島線も貨物輸送が中心だった頃。その当時、線路は今よりも内陸側を走っていたし、桜島駅も少し違う場所にあった。線路が通っていたのはちょうどUSJのど真ん中。住友金属工業の工場があって、その間を抜けていたのだ。
桜島駅もそうした場所に置かれており、さらに河口側まで貨物線がいくつも延びていた。現在の場所に線路と桜島駅が移転したのは、住友金属と日立造船の工場跡地でのUSJ建設が決まったからだ。2001年のUSJ開園に先立つこと2年前、1999年に桜島駅は現在地に移っている。
USJなき頃の旧桜島駅の場所は、ちょうどUSJの裏側、通りを挟んでセブン-イレブンがあるあたり。その先に延びる線路は、公園だったり新たに設けられた倉庫だったりに吸収されて、痕跡を見つけることは難しい。ただ、団地と公園と倉庫の間に、ちょうどゆったりとしたカーブを描いている細い空き地がある。きっと、これはかつての線路の跡なのだろう。
USJの登場と、JRゆめ咲線という愛称の定着で、すっかりイメージの変わった桜島線。しかし、本質的には港湾部の工業地帯の輸送を支える武骨な路線。いまでも桜島のある大阪市此花区の港湾部は、USJとそれにまつわる施設以外はほとんど工場や倉庫ばかりだ。
桜島線は貨物駅があって、貨物列車も走る。そうしたところに、この路線開業以来の武骨なイメージは、しっかりと息づいているといっていい。もちろん、そんな歴史はUSJで浮かれる客にはさして関係がない。むしろ、昔からの工業地帯のイメージを一新させたUSJのインパクトたるやいかばかり、というお話である。
テーマパーク、観覧車、水族館…“ナゾの終着駅”に迫る変化
USJもそうだし、ディズニーだって埋立地に設けられたテーマパーク。近くには鉄鋼通りという武骨な町がある。細かい歴史はまったく違っているが、どちらもあんがい似たような場所にある。
テーマパークほど大規模なものではないが、新木場のageHaも芝浦のジュリアナ東京も、港湾部の倉庫街の中にあった。工業地帯や倉庫街は、なかなか普通の人が寄りつくようなイメージではない。が、音を出しても迷惑にならず、それでいて大きな土地を確保できるという意味で、使い勝手がいいのかもしれない。
そしてまもなく、桜島駅は新しい役割を得ようとしている。2025年に大阪湾の埋立地・夢洲で開催予定の大阪万博。そのアクセス駅のひとつとして、桜島駅は装いを新たにするらしい。桜島駅の近くから渡し船に乗れば天保山。天保山のすぐ隣には観覧車も海遊館もある。
そこに2025年には万博も加わる。桜島駅、ただのUSJの向こう側のナゾの駅、どころではないポテンシャルを持っているのかもしれない。
写真=鼠入昌史
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