(4)海外の偉い人に接する際の売り込みツールとして威力を発揮する
上記の(1)~(3)は、あくまでも漢語語彙や漢文法の知識が実生活の役に立つという話だった。なので、学校で習う『論語』なり漢詩なりに代表される教養的分野が、果たしてカネ儲けのどこに役立つのかと疑問を持たれた読者もいるはずだろう。だが、これらも役に立たせることはできる。
私は昨年末、過去に中国の富豪ランキングで100位以内に入った大富豪のXさんや、トランプ政権の上級顧問だったスティーブン・バノンなど、なぜか海外のやたらに偉い人(一癖ある人ともいう)に立て続けに取材する機会があった。
Xさんはもともと前歴も定かならぬ叩き上げの商人、バノンは労働者階級からクラスチェンジを果たしたアメリカのネトウヨ(オルト・ライト)の親玉なので、本物の海外のセレブとは言えないはずだが、それでも私たち庶民とは隔絶したハイクラスの人たちである。
彼らと喋ってみてつくづく実感したのは、直接的なカネ儲けに関係がなさそうな知識の重要性だった。
彼らは会話に「遊び」を持たせずに実務的な情報だけを喋ることは好まず、むしろ「遊び」の話題に相手がどう反応するかで距離感をはかるようなところがある。なお、Xさんは中国古美術品の収集や仏教に造詣が深く、バノンはジョーンタウン大の修士号とハーバード大ビジネススクールのMBAを持っていて、中国史にもかなりの知識がある。
特にXさんの場合、私はなぜか気に入られて当初は1時間弱の予定だったインタビュー時間が倍以上になり、その後も秘書を介する形ながら友好的に接してもらった。理由はどうやら、私が彼の部屋の中国絵画や出されたお茶の由来を尋ねて雑談したり、彼が凝っている禅について日本の臨済宗と曹洞宗の違いを喋ったりしたことで、他の日本人記者よりも面白がってもらえたかららしい。
実務的なやり取りだけをする「下っ端」ならともかく、海外の一定以上の偉い人は、高学歴層ならリベラルアーツとしての教養を幅広く持っているし、叩き上げの人でもカネを得た後は文化資本の鎧をまといたがる。Xさんやバノンの水準までいかなくても、私が接した範囲では、大学院レベルの教育を受けた海外(私だと香港や台湾を含めた中華圏の相手が多くなるが)の政治団体の代表者や企業の経営者は、ある程度こういう傾向がある。
彼らとの雑談で間をもたせて、それなりに人格的に信用してもらうために、いちばん安価で便利に使える道具が「教養」だ。この教養はそこまでハイレベルな必要はなく、高校で習う程度の世界史・日本史や古文・漢文の知識をちゃんと説明できれば、「日本人がそれを喋っている」という異文化ギャップも働いて、そこそこ面白がってもらえる模様である。
海外の政治家や大富豪に気に入られるドレスコードを身につけるのは相当な投資が要るが、高校卒業レベルの教養なら実質タダで手に入る。公教育における古文・漢文や歴史の授業とは、海外の偉い人を相手に決定権をともなう交渉をおこなう上で相手の信頼を得られる素養を、相当コスパよく身につけられる場だという見方もできる。
漢文教育は役に立つんじゃないのか?
ここまで書いたところで、上記は漢語の語彙を知ればいいだけで漢文自体の勉強は不要だとか、教養は漢文以外の知識でも別に構わないといった反論も当然予測される。それらに対しては「だって基礎だから大事」という説明をするしかない。
たとえば昨今流行の統計学や会計学も、完全に身につけるには微積分や関数の知識が必要だし、そのためには因数分解や方程式を知らなくてはいけない。因数分解はそれ自体の実用性以上に、その先のさまざまな知識を得るのに大事な基礎だから学校で教えられている。
中学・高校レベルの漢文も同様のことは言える。日本語の基礎には漢文と漢文法が深く食い込んでおり、一般的な日本人の教養のベースの一部には中国古典が存在する。その先に広がる「応用」の知識を取りこぼしなく身につける地ならしとして、基礎として学んだほうがいいものなのだ。
「漢文の勉強は社会に出て役にも立たない」という一見意識の高い人たちの主張は、「因数分解なんて将来に何の役に立つんだよ!」と叫ぶ中学2年生男子の主張と同じくらいナンセンスなのだ。私としてはそう強く主張したい次第なのである。