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大阪の多様な価値観を表現したい

──『へぼ侍』にしろ『インビジブル』にしろ、軍需の中心地であった大阪城辺の描写が新鮮でした。

坂上 大阪城の近辺はいまではビジネスセンターになっていますが、明治維新から70年間は軍需産業の中心であったわけです。『へぼ侍』に登場する大阪鎮台があり、西南戦争では官軍の一大拠点でした。その後、第四師団司令部と陸軍兵器工廠が置かれ、敗戦後は梁石日や開高健らが書いたようにアパッチ族と呼ばれる鉄屑窃盗団が暗躍した。そんな焼け野原時代の大阪で、捜査ミステリーを展開したのが『インビジブル』です。

 大阪と言えば、「よしもと」「なんば」「串カツ」とコテコテ感で一面的に捉えられがちですが、もったいないですね。谷崎潤一郎『細雪』や山崎豊子『ぼんち』に代表される、商人を中心とした多様な世界観もあるのに……。『インビジブル』というタイトルには、可視化されていない大阪という意味も滲ませているんです。

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──『へぼ侍』の嘉納治五郎、犬養毅、手塚良仙、『インビジブル』の司馬遼太郎、笹川良一など実在の人物を作中に登場させることが多いかと思います。その意図についてお聞かせください。

坂上 『へぼ侍』の場合、メインのキャラは非実在人物ですが、脇役には明治、大正、昭和につながる大阪文化を滲ませたいと思ったんです。たとえば、漫画家・手塚治虫の曾祖父である良仙は幕末の医師で、大阪の緒方洪庵の適塾で福沢諭吉と学び、西南戦争に軍医として出征し、赤痢にかかって死ぬ。手塚の『陽だまりの樹』でも西南戦争に触れているのですが、そこで描かれた先の物語を描いてみたかった。

 西南戦争では乃木希典を筆頭に、奥保鞏など後に日露戦争で活躍する軍人たちがたくさん登場している。当時は何者でもなかった者たちです。そんな明治の青春譚を実在の人物を通して書きたかったという思いもあった。「郵便報知新聞」記者だった犬養毅は、まさにその典型です。

 2作目の『インビジブル』では、時代がより現代に近づいているので、歴史との距離感に悩みました。司馬遼太郎を名乗る前の新聞記者・福田定一やA級戦犯の笹川良一も登場しますが、単行本の時には名前をぼかしたんです。今回、文庫化する時には実名に戻しました。もう、歴史の世界の人だろうと──。

 昭和という時代はすでに歴史、というのが私の認識です。司馬さんが80年前の人物を『坂の上の雲』で描いたように、司馬さん自身を歴史小説のキャラクターの一人として書いてみたいと思ったわけです。