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《小渕氏は東京ではなく地元の群馬県前橋市で会見したのだが、私は出席を認められず、閉め出された。さまざまな手を尽くし、なんとか発言内容を調べようとしたことを覚えている。》(同前)

 完全に身内向けのセレモニーで終わらせたことがわかる。小渕氏は息をひそめて年数さえ経てば世に出られるという打算があったのだろうか。蝉ならそれでいいだろうが小渕優子は公人だ。そんな態度でいいわけがない。

 アレから9年経った先週9月13日、選対委員長として就任会見があった。

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就任会見での涙声にポカン

「あの時に起きたことは政治家として歩みを続ける中で、心の中に反省を持ち、けして忘れることのない傷」

 小渕氏がそう言ったから世の中が「アレ?」となったのである。あたかも自分が傷つけられたかのように言って涙ぐんだから見てる側はポカンとしたのだ。

©文藝春秋

 泣く前に聞きたいことは山ほどある。政治とカネで注目された一つに、小渕優子後援会が開催した明治座での観劇会がある。支出が収入を大幅に上回るなどしていた。つまり有権者を金でアレしていた。これについて小渕氏の説明が聞きたい。

 小渕氏は会見で、「もし何か私に必要なお話があるということであれば、おっしゃっていただければ」とも話した。

 それなら提案したいのだが、明治座を貸し切って記者会見を開くのはどうだろう。

 誰もが待ちに待った小渕優子氏の晴れ舞台である。小渕家と明治座は関係が深いらしいからすぐに押さえられるだろう。会見は新聞記者だけでなくフリーの記者も呼べば盛況になるに違いない。それぐらいのことをしないと国民の「傷」は癒えない。そう、小渕氏はこの9年間を「雌伏」と思っているフシがあるが、「雌伏9年」とは説明されないまま時間が経ったのはこちら側である。

「禊」はもう済んでいる?

 一方で、小渕氏側の論理を考えてみよう。この9年間で選挙に3回勝っている。しかも圧勝。なので「禊(みそぎ)は済んでいる」というのが小渕氏側の気持ちだろう。