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[鶴田浩二襲撃事件]

 鶴田浩二襲撃事件とは、1953年(昭和28年)1月6日に当時の人気俳優で歌手の鶴田浩二が瓶やレンガで襲われた事件である。指示を出したのは山口組の幹部で後の若頭になる梶原清晴、実行犯は、当時はまだ組員という肩書であった山本健一、清水光重、益田芳夫、尾崎彰春らであった。

 襲われた鶴田浩二は頭と手に11針のケガを負った。

 この事件は、三代目山口組組長・田岡一雄がマネージメントを行っていた美空ひばりとの公演を鶴田浩二のマネージャーが断ったことに端を発している。

 マネージャーにいい印象を抱いていなかった田岡一雄はその後、ショーの件で鶴田から挨拶とともに現金を差し出されたが、受け取らずに突き返した。

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 その一連を見ていた組員が、鶴田浩二を襲ったのである。鶴田を襲った幹部たちはその後、田岡一雄から重宝され若頭や幹部にまでのぼりつめた。この事件は、芸能界で山口組が力を示すようになった出発点でもあった。

気が合わない芸能人もたくさんいた

 あの組とこの芸能人は仲が良い、といった話は実はごく一部だ。組長が個人的に可愛がっている芸能人が組事務所や本家に遊びに来ることはあったが、それはあくまで個人的な付き合いだった。

 組も〇〇興行とか〇〇芸能社とか組名を感じさせるけれども、あくまでもプロモーションをする会社という形にして、そこはキチンとわしらは分けていた。

 芸能人の借金問題の面倒を見るということは年中あり、そのようなトラブルごとの対処などもやっていたが、当然わし個人の力よりも後ろの看板の背景を相手は見ていただろう。芸能人がヤクザに対して借金をした場合は、芸能人の代わりに話をつけた。

 1000万円の借金があった場合、それを全額なんかは払わずに解決することも多かった。所詮博打の金がほとんどだから、それがまかり通っていた時代だった。

 わしは積極的に芸能人と付き合いたいとは思っていなかった。たまたま稲本の関係とか、わし個人の関係で仲良くなった人間が芸能人で役者だったというだけの話で、当然話したときに気が合うやつと合わないやつもいる。ヤクザといえど人間だから、そういった感情はある。

 わしは芸者じゃないから、誰にでも良い顔をするわけではない。気が合わない芸能人もたくさんいた。