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 当時の学校に提出する日記に対しても、担任の回答は同じだった。

「元気がまだ足りない。表情を豊かに!笑え、笑え!大きな口をあけて笑え!」(5月20日)、「どうだい。少しは仲間と話ができたか?」(12月1日)、「変えられるのは自分。変えられないのは周り。だからこそ自分を高めていこう」(1月14日)などと赤字で書き込まれている。この“話の通じなさ”はヒロシさんを追い詰めていった。

ヒロシさんの日記に「元気がまだ足りないな」「笑え笑え!」と書いた担任教師の赤い文字

「この頃は心が死んでいたというか、異常な精神状態でした。成績も中1のときはトップクラスだったのに、中3では同級生に驚かれるぐらい落ちていました。でもとても勉強をするような気分ではありませんでした」(同)

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「卒業式の日、一人でいるところを見つけ…」

 しかしヒロシさんは、中学校在学中はイジメや担任との関係について母親には全く相談しなかったという。第1希望ではない高校に進学したものの、2年生の時に中退。その後、ようやく母親に対して中学時代の苦しみを口にすることができた。

「卒業式の日、一人でいるところを見つけ、違和感があったんですが、こちらから聞けませんでした。おかしいなとは思っていました。高校に進学してからもぎこちなく、友達がなかなかできないでいました。高校の修学旅行も休みました」(母親)

 高校中退後は自宅で療養している。ガジェット系のYouTuberの動画をみたり、ゲームをしたりしている。生活リズムは安定しているものの、徐々に学校に対して「許せない」という感情が湧いてきていた。そのため、2010年に、市の教育委員会に対して話し合いを申し込み、中学3年時の担任教師などとの話し合いの場が設定されたという。

「最初の話し合いの時に、中学2年の3月に起きた暴力事件のことを中3の担任に話したのですが、反応からすると中2の担任から本当に伝えられていなかったんだと思います。『中2の担任は力がなかったんだよ』みたいなことを言っていた。おそらく僕についても『興奮しやすい生徒だ』ということだけを伝えられていたんでしょうね」(ヒロシさん)

 2010年に始まったヒロシさんと市の教育委員会との話し合いは23年5月まで続いた。2017年にヒロシさんは、こんな手紙を教育委員会に提出している。

《生徒の個性、尊厳、意向を無視した不埒な言葉がけは逆に、その生徒の心を壊すことになります。特に、中3時の担任が行ったような、同級生たちの前で大きな声で『友だちできたかぁ?』とか、『笑え!』とか、『ドラマを見ろ(人間関係がわかっていないからだ)』などというのは言葉がけと言える代物ではなく、さらし者にされた辱めを受けているような、幼稚園児扱いしており、バカにされているような、いじめとしか思えない行動です》