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私には書くことしかない

――『晩鐘』を書き始めたのが、八十八の時。

佐藤 私は五十ぐらいのときに、とても尊敬している心霊家の先生に「佐藤さんは九十まで生きますよ」と言われたんです。ずっと先の話だと思って笑っていたのに、ある日、あと二年じゃないかと(笑)。それでこのまま死ぬわけにはいかない。人生の最後に何か書かなきゃという気になりました。

――最近では作家の息が長くなったとはいえ、この歳でこれだけの大作を書かれるのも珍しいですよ。佐藤さんは今でも毎日書いてらっしゃるんですか。

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佐藤 そうね。いちばん調子のいいときは、朝は六時頃に目覚めます。そうしたら今日書くことを、一時間ぐらい考えるわけですよ。それから八時頃に起きて、朝は牛乳一杯しか飲まないから、十時頃には書斎に入って書き始めて、二時か三時頃までやります。だいたい二時頃に人が尋ねてきたり、何かごたごたと雑用したり、買い物に行ったりして、夜はテレビを見ている。それが快調なリズムに乗った日。

 調子が悪いと、朝六時に目覚めたあと、やっぱり死ぬことを考えますね。みんなのこと、たとえば川上さんがどんな思いで死んでいったんだろうと考えます。死ぬときはあっという間だと言うけどね、そんなに簡単なものじゃないはずで。ものすごい寂寥感というか、この世と別れることについての寂しさ、苦しさ、そういうものがあるに違いないですよ。よっぽど恵まれた人でない限りはね。そういうことを思うようになっているときは、いちばん精神状態の悪いときです。

 この二年でも、ときどき老人性鬱病みたいなのが来るんですよ。そうすると全然調子が狂いますね。でもここで私が駄目になったら『晩鐘』はどうなるのか。『晩鐘』を書きあげてから死ななければ、思いが残って成仏できないのは嫌だから(笑)。書くことがあるからこそ、生きる力が出たと思いますね。

――楽しみに読ませていただきます。

佐藤 この夏も北海道で四十日間生活して、いよいよ今日帰るという時に、大村さんもご存じのあの粗雑な鉄平石のテラスにね、あすこに小さな靴下とかハンケチとか乾したままになっているのに気がついたんです。片付けの手伝いに来ている人がいたので、その人に頼めばいいのに、こういう時私は人に頼んでいるより自分でしたほうが早いと思うタチでね、気がせいているので走らなくてもいいのに走ったんですよ。そしたら躓いてね。勢いついているから、でこぼこの硬い石の上に叩きつけられて、肋骨にヒビが入っちゃったわけ(笑)。頭を強く打ったんですよ。すぐには立てないぐらいだったんだけど、その瞬間思いましたね。こんなに頭を打ってアホになったら『晩鐘』はどうなる、って……。お医者さんに行く暇もないから、そのまま空港に行って東京へ帰りました。その翌日、お医者さんに行ったらヒビが入っていてね、九十になってあんな石の上で勢いついて転んだら折れてもおかしくないのに、ヒビだけですんだなんて、有難いというより不気味ですよ。

 まだまだ許さんぞ、と神さまにいわれてるみたいで。しばらくうつうつとしていたんだけれど、『晩鐘』のゲラが届いたら、とたんに元気になりました(笑)。やっぱり私には書くことしかないんですよ。生きることと書くことが密着してるのね。『晩鐘』を書き上げて、それでも死ななかったらどうしよう?

(二〇一三年十月一日、世田谷太子堂にて)

晩鐘

佐藤 愛子(著)

文藝春秋
2014年12月6日 発売

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