大変で大切な仕事だからこそ……
だが月日が経てば記憶は薄れていく。
「施設のスタッフは入れ替わりが激しく、当時のプロセスを知る人は多くないのです。スタッフによっては、私たちが無理を強いてきたわがままな保護者だと思っている人もいるでしょう。
実際、当時を知らない担当者から、『個人の要望は受け入れられない』などとする文書が示されたことがあります」
吉村氏は放課後等デイサービスという制度について、現在、このように考えている。
「スタッフのなかには身内に障害を持つ方がいたり、親身になってくれたり、専門知識を有する方もたくさんいます。ただ、そのレベルは個人差があり、電話対応ひとつ満足にできないような方がいるのも事実です。
障害児の支援は、大きなストレスを伴うものです。唾液や排便排尿の処理もありますし、意思疎通のできない子に苛立つ場面もあるかもしれません。綺麗事だけでは済まない仕事でしょう。それだけ大変で大切な仕事だからこそ、もっと行政に介入してほしいと私は思っています。
スタッフ個人の意識ややる気に依拠するのではなく、たとえば資格を創設して給与が上がっていく仕組みを作ったり、社会的な地位を上げていくような取り組みを行わないと、いつまでも安く使える労働力に依存する構造は変わらないのではないでしょうか。そして、そのしわ寄せは、すべて子どもに行くことになるのです。それは、障害者の生命の軽視に他ならないと思います」
意識の低い一部施設による怠慢が、かけがえのないものを壊していく。障害を抱えた子どもの生命、家族の希望、そして、懸命に業務にあたる大多数の福祉職への信頼もそのひとつだろう。施設側が保護者との取り決めを反故にしたことが悠生さんの死につながった事実を矮小化してはならない。そこに障害者を扱うことへの侮りはなかったか。生命を扱う者の根底に生命への侮りがあってはならない。国民の生命を守るべき国は、この問題にどう取り組んでいくのだろうか。