映画と原作で違う、聡実と狂児の距離感
原作の聡実は、ヤクザの狂児にカラオケに誘われ、不審そうな顔を見せ、少し冷や汗をかき、名刺を渡されても目を泳がせ、まわしてくる腕に若干警戒した表情を見せるが、映画の聡実はもっと淡々としている。小さな顔と小さな上半身、長い手足は漫画のようだし、思春期特有の、誰も、何も踏み込めないようなうっすらした壁が全身に張り巡らされている気配も、漫画よりもっと漫画的だ。
なにせオーディションで選ばれた中学生・聡実役の齋藤潤には、原作以上に基礎体温が低そうで、石灰水に息を吹き込んでも白く濁らなさそうに見えるほどの無機質さがある。映画『ピンポン』でスマイルを演じたときの井浦新(当時 ARATA)に近い雰囲気もある。
一方、原作ではどこか現実感の薄い人たらしの魔性系ヤクザ・狂児が、映画では綾野剛が演じることにより、もっと距離感のつかめない不器用さと親しみやすさと怖さの同居する存在になっている。
原作以上に低温度の齋藤潤と、原作以上に距離感のおかしい綾野剛のやりとりは、わかりやすくイチャついたり、ベタベタしたりするわけではないのに、二人だけの世界を成立させてしまう。
一方は、第二次性徴真っただ中の不安定さ――淡々とした表情で、一見不可侵な壁を作りながらも、その薄く脆い壁から無防備に漏れ出る小さな戸惑いや焦り、羞恥心、コントロール不能の苛立ちがある。そしてもう一方には、思春期中学生男子となぜか共鳴し合う、綾野剛の正しさとヤバさ、優しさと怖さ、子どもっぽさと大人の色気の狭間を無秩序に行き来する、ある種予測不能で突然消えてしまいそうな危うさや不安定感があるのだ。
狂児が聡実に傘をさしかける、映画オリジナルのシーン
この二人を「二人だけの世界」たらしめる存在が「女子」である点と、そこに使われる小道具や、散りばめられたギャグのセンスに、野木脚本の巧みさが光る。
雨の夜、狂児が聡実にビニール傘をさしかけるコミックスのカバーイラスト、映画ではそれを真っ昼間の陽光の下、聡実の学校の前という全く印象の異なるシーンとして描いてみせる。
怖さとは程遠い、さながらメリーポピンズが舞い降りたかのようなファンタジーとしての美しいシーンで、差し出されたのは、カラオケボックスに聡実が忘れて行った亀の絵が描かれた超個性的な傘。その独特な傘に気づき、教室のベランダからやり取りを眺めていた女子たちが、やいのやいの騒いだことで、聡実は狂児を変に意識し始める。
そこで、聡実は母親に新しい傘を買ってくれとねだるのだが、親に与えられた傘を気にせず使っていたことも、急に恥ずかしくなって親に新しい傘をねだることも、ある種の目覚めを思わせる。それでいて、親の知らないところでは、平気でヤクザと一緒にカラオケに行き、チャーハンを食べているのだから、なんともアンバランスだ。
しかし、おそらく本人の中ではそこに矛盾はない。この子どもと大人の狭間にあるおかしなバランス感覚に、野木の“中学生”の解像度の高さをしみじみ感じてしまう。