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 我に返ったときには既に遅く、怯えきった妻はそのまま実家に帰ってしまう。

 残された中村さんは激しい後悔に襲われた。

 数日後、妻に連絡すると、妻は地域の女性センターに相談に行ったという。「DV加害者プログラム」というものを紹介され、「そこに通ってほしい」と言われた。

 中村さんは藁にもすがる思いで、勧められた「DV加害者プログラム」に通い始めた。

 それは、中村さんがモラルハラスメントをしてしまう一因が自分の原家族にあることを知るきっかけとなる第一歩だった――。

暴力が日常の家庭

 北陸地方出身の中村さん。父親は設備設計の仕事をする会社員で、母親は時々パートに出る専業主婦だった。

「両親の詳しい馴れ初めはわかりませんが、20代半ばで結婚していると思います。幼少の頃の記憶で最も強く印象に残っているのは、父親が玄関先で母親に対して『出て行け!』と怒鳴りながら何度も母の頬を殴っていた記憶です。確か私がほんの2~3歳くらいの頃だったと思います」

 今でこそ「面前DV」だと分かるが、当時2~3歳の中村さんには知るすべもなく、「なんだかわからないけど怖い」と感じつつも、「きっとどこにでもあること、なんでもないようなこと」と思おうとしたという。

写真はイメージ ©️ponta/イメージマート

 父親による母親への暴力は頻繁にあったようだ。中でも中村さんが小学生の頃には、父親が母親を何度も何度も殴ったり張り倒したりしており、時には母親が泣きながら台所に行き、包丁を手に自殺を図ろうとするが、父親に包丁を取り上げられ、また何度も何度も殴られる……ということもあったという。

「父に掴まれて動けない母は泣きながら私に、母の実家に『今すぐ電話して』と懇願しますが、父からは『そんなことをしたらただでは済まさない』と脅され、結局何もできませんでした。その直後、母は私を連れて家を出たのですが、程なくしてまた家に戻りました。まだ幼かった私には、戻った理由はわかりませんでした」

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 日常的にDVをする人の多くは、ハネムーン期といって、人が変わったかのように穏やかになる時期がある。もしかしたら中村さんの父親にもハネムーン期があったのかもしれないし、力ずくで連れ戻されただけかもしれない。いずれにしても、父親から母親への直接的な暴力も、父親が母親の人格や価値観を否定するような暴言を浴びせて威圧するようなことも、当時の中村家では珍しくないことだった。