ちなみに、創設にあたって中部さんが多額の寄付をしたという明石高校は、旧制明石中学時代の1933年に甲子園に出場、中京商業と延長25回の大熱戦を繰り広げて伝説になっている。明石はなかなか野球熱の高いところだったようだ。
藩政時代の面影も留めつつ、野球場に公園と明石の町の歴史が詰まったような明石城。その本丸付近は高台にあり、見晴らしの良い場所からは明石の市街地ばかりではなく、その向こうの淡路島や明石海峡大橋もよく見える。背の高いタワーのような建物は、明石市立の天文科学館。東経135度、つまり標準時子午線が通るところに建っているそうだ。
高台を降りて町中を歩く
そんな高台を降りて、明石の町中を歩く。城跡のすぐ南側には線路が東西に通っているから、中心市街地はそれより南側に広がっている。だから、明石駅も南口がいわゆる“正面口”らしい雰囲気を持つ。
ロータリーの向こう側には行政施設や飲食店などが入った複合施設が建ち、その脇には背の高いマンションが聳える。ロータリーの真ん中の通路にはいくつも時計があるのは、標準時子午線が通る町だからなのだろうか。
複合施設の「パピオスあかし」を抜けると、国道2号に出る。一般道路における中国地方の大動脈だ。国道2号は歴史を辿ると西国街道。旧西国街道は国道2号よりも少し南側の県道718号線にあたる。国道2号と旧西国街道の間にあるのは魚の棚と呼ばれるアーケード商店街だ。約400年前、明石城ができて明石藩の城下町が整備された頃からの商店街で、明石の海の幸を中心に扱っている商店街なのだとか。
平日の昼間にこの賑わい「関東でいうなら熱海の駅前商店街のような…」
魚の棚のアーケードの中にはいくつもの大漁旗がはためいて、平日の真っ昼間というのにやたらと活気に満ちている。店先では海産物がずらりと並び、行き交う人も少なくない。
このご時世の地方都市の駅前の商店街としては、まったく希有なほどの賑わいぶりといっていい。関東地方でいうならば、熱海の駅前商店街のようなイメージだろうか。こうした地域に根付きつつ特産の海産物に恵まれた商店街が1時間圏内にあるとは、関西の人がうらやましくなってくる。