いじめが始まったきっかけは「教師の罵倒」
そもそも翔さんに対するいじめが始まったのは、2歳年上の兄が教師から受けた扱いがきっかけだった。翔さんの兄が小学5年生の頃、音楽の担当教員が他の児童の前で、兄を罵倒したのだ。
「このままだと将来、ニートのようになるかもしれない」
「あんたみたいな子は、仕事しようと思っても、試験受けても受からへん」
授業が始まった後も廊下にいたことが原因とされているが、母親によれば「担任の先生と話をしていたから」だという。つまり授業に遅れたのは兄のせいではなく、それを担任はわかっていたはずなのに音楽担当教員が兄を罵倒するのを見て見ぬふりをしたことになる。
「お母さん。これでものごと解決です」
この事態を学校は保護者に連絡しなかったが、家庭訪問の際に不意に発覚し、校長や音楽担当教員、学年主任などが翔さんの家を訪れて謝罪することになった。
「一応謝ってはいましたが、学年主任が『普段から謝ったら許す大切さを教えているよね。じゃあ、どうしたらいいかわかるよな』と詰め寄り、お兄ちゃんは『許す』と言うしかない状況でした。校長先生も『お母さん。これでものごと解決です』と帰って行きましたが、私もお兄ちゃんもまったく納得できませんでした」(母親)
そしてこの「兄へのハラスメント」が、翔さんと兄へのいじめが始まるきっかけになったのだ。翔さんは兄の同級生から「お前の兄貴、障害なのか?」「お前の兄はおかしいんやろ」などと暴言を浴びることが増えたのだ。
一度「いじめられっ子」というポジションに追いやられた翔さんは、その後約5年間断続的にいじめを受け、最悪の事態に至ってしまったことになる。
翔さんが亡くなった10カ月後の23年1月、泉南市長は諮問機関「中学生自死の重大事態の調査に係る第三者委員会」を設置し、調査の末に24年5月に報告書を公表した。
報告書は、いじめがあったこと、いじめが自殺の一因になったこと、その背景に教員の不適切な指導があったことなどを指摘している。