小山田は声明文の中で〈記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり〉と記している。たしかに『ロッキング・オン・ジャパン』は、インタビューの内容を、アーティストにチェックさせない媒体として、当時から有名だった。しかもインタビュー内容ならチェックさせる媒体もあるが、見出しについては見せないことも多い。あとは編集部の判断と責任に委ねられている。
ただ、内容に問題があるのであれば、出版社にその旨を伝えなかったのだろうか。
なぜ出版社に抗議をしなかったのか?
――発売後に雑誌を目にした時、もし、事実と違うことが書かれていたのであれば、驚いたことでしょう。そのうえ、内容が内容だけに、抗議し、訂正を申し入れることをしなかったのでしょうか?
「『ロッキング・オン・ジャパン』では原稿の内容を事前にチェックできませんでした。そういう約束で引き受けた僕も悪いのですが、事実と違うことを見出しにされ、まるで全部自分がやったことのように書かれていて、当時、すごく違和感を覚えました。ショックを受けました。後日、ライターの方(山崎洋一郎)に会った時、その違和感は伝えたと思うのですが、実際に訂正を要求することはしなかったです」
取材の後で、小山田は記事を書いた山崎とトークイベントに出演している。その時のやり取りが、ミニコミ誌『SPYS vol.2』(94年 SPRING)に残っている。小山田は「あの日の僕は、どうかしてた」「読んでもいいけど、あんまり信じないように(笑)」と語っている。
では、違和感があったのならば、なぜその翌年、『クイック・ジャパン』の取材を受けたのか。疑問が残る。それについて小山田はこう答えた。
「ライターの方(村上清)に当初、『イジメた相手との対談を』という依頼をされたのですが、最初は受けるべきではないと判断して断ったんです。でも何回か『協力してくれないか』とお願いされて、引き受けてしまったんです。間違って広まってしまった記事を修正したいという気持ちもあったと思います」
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炎上の渦中、「週刊文春」の取材に答えた小山田は、かつての雑誌記事で報じられた「うんこを食わせてバッグドロップ…」といったいじめの事実を否定した。
では、当時の現場では何が起きていたのか――? なぜ、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」両誌に、このような記事が出たのか。そして、テレビ番組のレギュラー、ライブ活動などを失い、1年近く実質謹慎――、小山田がここまで追い詰められねばならなかった理由とは。
発売中の『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』では、小山田本人への20時間を超える取材を含め、開会式関係者、小山田の同級生、掲載誌の編集長と取材を進めるうちに見えてきた、「炎上」の「嘘」を追う。