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事件の後遺症で記憶障害に

――差し支えなければ、記憶障害についてもう少し詳しくお聞かせいただけますか。

かりんこ 事件のことは覚えているんですよ。“彼ピッピ”という彼氏がいることも分かるんです。でも、事件と彼のことが全く結びつかなくて。病院の先生や警察の人から事件について聞かれているときに彼ピッピの話が出ると、「なんでこの人たちは、事件に全然関係のない人の話をしているんだろう?」と思っていました。

 例えが難しいのですが、政治の話で盛り上がっていたのに、突然「遊園地で好きなアトラクションは何?」と、全く関係のない質問をぶち込まれるような感覚というか。

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救急車や警察を呼んでくれた隣人(『メンヘラ製造機だった私が鼻にフォークを刺された話』より)

――彼が鼻にフォークを刺した犯人だとわからなかった、ということですね。

かりんこ そうです。他にも、一時的にですが、簡単なパズルが出来なかったり、物の名前が思い出せなかったり。「ぶどう」そのものの記憶がすっぽり抜けてしまっていたときは、ショックが大きかったですね。

――ぶどうの記憶が消える?

かりんこ はい。脳の状態を確認するテストで、りんごやいちご、ぶどうといった、スーパーでよく見かける果物の名前を答えるものがあったんですよ。そのテストを受けたときに、ぶどうを見て「初めて見る珍しい果物だな」と思ったんです。それを医師に伝えたら、一瞬だけど険しい顔をして。「あ、私の脳になんかまずいことが起きているな」と思いましたね。

――なぜ、ぶどうだけ記憶から抜け落ちてしまったのでしょう。

かりんこ 付き合っていた頃に、彼ピッピが「かりんこちゃん、これ好きでしょ」ってよくぶどうを買ってきてくれたんですよ。だから、彼のことを考えないように、彼と思い出深いものを脳が強制シャットダウンしているのかも、と先生は言っていました。

 

――でも、退院するまでに記憶障害は治ったのですよね。きっかけはなんだったのでしょうか。

かりんこ 事件のときにかけつけてくれた警察官の人と再会したのがきっかけです。事件直後から病院に来てくれていたそうなのですが、病院側の配慮で「急に顔を見ると記憶がより混乱するかもしれないから」と、しばらく面会を控えてくれていて。

 入院してしばらく経って、気持ちが少し落ち着いてきたところで会うことになったんです。そしたら、顔を見た瞬間に一気に記憶が戻ってきたんですよ。戻ってきたというより、鼻をフォークで刺された一連の事件が「ついさっき起こったばかりのこと」のような感覚になりました。驚きも、恐怖も、怒りも、つい数分前くらいに経験したような生々しさがあって、感情がぐちゃぐちゃになってしまって。あれは不思議な体験でしたね。

撮影=石川啓次/文藝春秋