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同級生から「日本人なのに、なんで日本語を話せないの?」と…アメリカ育ちの実業家・宮崎麗果(36)が語る“生い立ちに悩んだ”子ども時代

宮崎麗果さんインタビュー #2

14時間前
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盗聴やスパイを警戒する“特殊な家庭”で育ち…

――生まれ育ったご家庭は、どんなお家でしたか。

宮崎 私が高校生のときに両親が離婚して、今はお互いハッピーに生きてるんですけど、小さいときは両親のケンカが絶えなくて、常にピリピリしているような、温かな家庭とは正直言えなかったです。

 あと、特殊な環境でもあって、父が新聞社の代表をしていたので、盗聴とかスパイとかへの警戒心がかなり強い家だったんです。

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――“特殊な環境”というのを、子ども心にも感じていた?

宮崎 家の周りに防犯カメラがついていたりとか、セキュリティがとにかく厳重だったので。

――友だちを連れてくるのはOKだったんですか。

宮崎 それは全然大丈夫でした。ただ、今でこそ笑い話なのですが、友だちがハロウィンに仮装をして「トリック・オア・トリート!」と言ってうちの家をピンポンダッシュしたんです。  

 それをセキュリティカメラが捉えていて、「この怪しいヤツは誰だ!?」「何か置いていったぞ!」みたいな感じで大問題になったことがありました(笑)。その後、「あの家は絶対にピンポンダッシュ禁止」となったんですけど。

世界情勢についてもよく家でディベートしていた

――ご両親から、特殊な環境について説明を受けていた?

宮崎 はい。家の特殊性を親もきちんと説明してくれていましたし、その他のことでも、両親は私を子ども扱いしなかったんですね。だから、パレスチナ・イスラエル問題といった世界情勢についてもよく家でディベートしていました。

 

――ガザは今、人道危機に陥っています。

宮崎 市民が飢餓状態になったり、子どもが殺される悲惨な状況なのに、海外からの支援が滞っている状況が続いていて。私にできることがないかと日々考えさせられ、微力ながら、個人的に子どもや病院へ寄付を行っています。

 日本はテレビ局によって報道の内容に大差はないですが、海外ではFOXとCNNでは同じ問題でも伝え方が異なるし、アルジャジーラもまたぜんぜん違う。

 画一的な報道ばかりだとメディアリテラシーも身につかないでしょうし、受け身ではなく自分からニュースをキャッチしに行くことが大切だと思ってます。

――お家でのディベートは好きでしたか。

宮崎 大好きでした。親があまり家にいなかったので、それがコミュニケーションの一環だったこともあり、嬉しかったです。

 だけど、私は日本語能力が低いんですよね。

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