文春オンライン

同級生から「日本人なのに、なんで日本語を話せないの?」と…アメリカ育ちの実業家・宮崎麗果(36)が語る“生い立ちに悩んだ”子ども時代

宮崎麗果さんインタビュー #2

14時間前
note

「なんで日本語が喋れないの?」子ども時代のコンプレックス

――インターナショナルスクール出身かつ、アメリカの学校に通われていたということで、英語が第一言語だったのでしょうか。

宮崎 そうですね。小さいときから家でも英語と日本語が混じっていましたし、周りの子もインターの子ばっかりだったので、英語のコミュニケーションが普通で。ことわざも全然知らないし(笑)。

 最近も、「感情移入」をずっと「感情輸入」と勘違いしていたことがわかって。意味はわかるんですけど、語感でなんとなく使ってしまっているという。

ADVERTISEMENT

 

――日本語が得意ではないというのはコンプレックスでしたか。

宮崎 それはめちゃくちゃありますね。見た目で外国ルーツだとわかれば「日本語できなくて当然だよね」みたいになりやすいと思うんですけど、私は見た目がアジア人なので、アメリカの中学校に通っていたときは、「なんで日本語が喋れないの?」「ポケモン知らないの?」となってしまう。

 アメリカのテキサス州に住んでいた頃は、白人主義者が多くて、カウボーイがいっぱいいるようなのどかで保守的なところだったんですね。

アメリカで自分のアイデンティティを見失った時期も…

――さっきのメディアの話で言えば、土地柄、みんな保守的なFOXニュースを見てる?

宮崎 共和党の方は皆FOXでしたね。しかも、私がいたのがまた特殊な時代で、テキサス出身のブッシュ大統領政権下で、9・11同時多発テロが起きたんです。

 そのときはナショナリズムの気運が最高潮で、メールボックスから車から消火器から、ありとあらゆるところにアメリカ国旗とテキサス州のフラッグが貼られているような状況で。そこから、アイデンティティ・クライシスがハンパじゃなかったですね。

 

――日本人の宮崎さんがアメリカ国旗を持つような場面も?

宮崎 公立中学に行っていたんですけど、毎朝朝礼があって、その中で、「私はアメリカの旗とアメリカの国に忠誠を誓います」という一文をみんなで起立して言う場面があって。でも、テキサス生まれでもないしアメリカ人でもない、もちろんグリーンカードもない自分がいきなりアメリカの旗を振るのもおかしいし、すごく戸惑いました。

――宮崎さんのように外国の学生は旗振りを免除される?

宮崎 やりたくない子は座っていればいいんですけど、やらないとテロリスト扱いされてしまうような状況だったし、当時はまだアルカイダということもはっきりしていなくて、「カミカゼ」という言い方をされたり。

 市民プールに私たちが入ろうとしたら周囲が一斉にプールから出ていったこともあって、差別というものをはじめてそこで経験しました。

――黒木さんとも、社会問題や政治の話をしますか。

宮崎 もともとそんなに興味があるほうではなかったんです。だから、「韓国にルーツがあるだけで差別を受けるの? こんなにK-POPが流行ってるのに?」という感じで、信じられなかったみたいで。私がいろいろ話すと、「もっと知りたい」と言ってくれて、今ではニュースにツッコミを入れるほど変わりました(笑)。

関連記事