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同級生から「日本人なのに、なんで日本語を話せないの?」と…アメリカ育ちの実業家・宮崎麗果(36)が語る“生い立ちに悩んだ”子ども時代

宮崎麗果さんインタビュー #2

14時間前
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アメリカでは「アメリカ人じゃないじゃん」と言われてしまい…

――多感な時期に9・11をアメリカで経験したことで悩みも深かったと思いますが。

宮崎 たまたまそういう時代に保守的な土地にいたので、それもそれでかなり極端だと思うんですけど、混乱しました。

 私は日本人なのに日本語をちゃんとしゃべれないし、日本に帰っても日本人の間では「帰国子女」と言われ、「なんで敬語がわからないの?」となる。だけど、アメリカにいても、「アメリカ人じゃないじゃん」と言われてしまう。だから、中学のときは「私って何人なんだろう」とアイデンティティ・クライシスに陥ってしまい、ずっと悩んでいました。

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――ご両親とも話しをされましたか。

宮崎 両親は日本語が流暢というのもありましたし、父は韓国とのミックスなので、それはそれで日本でひどい差別を受けていたから、そこについては理解してもらえていたのですが、父の状況と私の場合とではまたちょっと悩みが違いましたね。

 

テキサス時代にHSPと診断を受けた

――テキサス時代には、環境に敏感に反応するHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)と診断を受けたそうですね。

宮崎 それこそ、9・11のことがトラウマになった子が何人かいたので、学校でカウンセラーをつけてもらったときに診断を受けました。

――診断をどのように受け止めましたか。

宮崎 「納得!」でしたね。家庭環境もあると思いますが、人の顔色を伺うような幼少期を過ごしてきて、周りの大人がどう思っているのかとか、空気に対してすごく敏感だったんです。

 あと、大きい音にもびっくりしやすくて、「リアクションでかいよ」と言われたり。わざとやってるわけではなかったから、わかってよかったなと思いましたね。

今は、自身のビハインドを個性として発揮

――一方で、宮崎さんは「強い人」みたいに思われることが多くないですか。

宮崎 SNSのイメージのせいか、そう思われることがありますね。強いか弱いかでいえば弱い方だと思うのですが、強くならざるをえませんでした。実際は、勉強好きなオタク。美容も好きですけど、政治の話のほうが大事だと思っていますし、たしかに世間のイメージとギャップがあるかもしれないです。

 あと、自分の第一言語が英語だったこともあって、「I am~」っていう、「私は~だ」という構文で喋るから、それが日本だと強く感じられるのかな。活字になると強く見えるということもあるのかもしれません。

 

――現在は、ご自身のビハインドを個性として発揮されています。

宮崎 HSPという気づきやすい特性は、今の仕事、マーケティングにぴったりでした。昔は、「なんでこんなことも気づかないの?」と周りにやきもきしたこともありましたが、私以上に気づく人がいなかったからこそ、今のビジネスが始められたのかなと思うようになりました。

 今は、「変わってるね」も最高の褒め言葉だと思っています。

撮影=深野未季/文藝春秋

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