1876年に再び群馬県ができると、このときも県庁はまず高崎だった。ところが、1881年にまたも前橋へ。高崎の人々は県庁移転の知らせに憤怒し、訴訟にも発展している。その後も何度か高崎に県庁を、という動きはあったようだが、いまに至るまで実現していない。
県庁所在地を巡る隣町同士の軋轢というと、埼玉県の浦和VS大宮が思い浮かぶ。が、似たようなことは群馬県でも起きていた、というわけだ。
ともあれ、高崎は県庁所在地であろうとなかろうと、存在感が薄れることはなかった。鉄道の要衝になったことも大きいし、それによって物資や人が集まってくることも大きかった。
おかげで、駅の西口から歩兵連隊の置かれた旧高崎城までの一帯(ここを中山道も通っている)は、商業エリアとして発展する。そんな往年の賑わいの面影は、いまも高崎の町のあちこちに残っている。
駅前のオーパや高島屋、中心市街地のスズラン百貨店も商業都市・高崎の一面を教えてくれるし、スズラン百貨店脇の道を北にゆくと「中央銀座通り」というアーケードも待っている。
「とてつもないほどレトロ」なアーケード街を歩く
中央銀座通りのアーケード、これがまたとてつもないほどにレトロだ。シャッターが下ろされたままの店が多いのはどこの地方都市でも見られるおなじみの光景だし、ところどころにスナックやクラブの類いがあるのもまあ時代の流れ。
ただ、営業を続けているいくつかの店は、まるで昭和の中ごろで時間が止まっているかのようなオーラを放つ。レトロ一徹のアーケード。北側に進むと、「TAKASAKI Retro Avenue」と掲げられていた。レトロさは、古くささとは一線を画する魅力なのだ。
レトロなアーケードから脇道に入ると、高崎電気館というこれまたレトロな映画館があった。1913年、高崎市内ではじめての常設映画館として開館したのがはじまりだという。場所の移転や建て替えを経て2001年にいったん閉館したが、2014年に高崎市地域活性化センターとして再オープン。いまや、高崎の文化発信基地になっている。