ユース五輪で優勝し、「パリ五輪の金メダル候補」と言われていたが…
――その後、17歳のときに、2018年に行われた世界ユースブレイキン選手権の女子の部で優勝、そして同年のユースオリンピックでは、女子ブレイキンと混合団体の両方で金メダルを獲得しました。目指していた世界が現実のものとなったときの心境はどうでしたか?
RAM 世界的チームで練習していて、自分より圧倒的に上手な人を毎日見ているからか、今も昔も「世界に辿り着いた」とか「うまくなった」と思ったことがなくって。
「この人が同じ大会に出ていたら、優勝できなかったかもしれない」という人が、日本国内だけでも大勢いるんですよ。昔はそれで落ち込むこともありましたが、今は「私も見習ってもっと頑張らなきゃな」とモチベーションになっています。
――2024年パリオリンピックの競技種目へのブレイキン採用が検討され、「ブレイキンの競技入りが決まったら、金メダル候補のひとりだ」と言われていたのもこの頃ですよね。
RAM そうですね。結果として日本代表にはなれずに悔しい思いはしたのですが、今は「この悔しさを次につなげていかないとな」と思っています。
代表選考レースをしていた期間は悪循環が続いていた
――オリンピック代表落選に対する率直な思いを聞かせていただけますか。
RAM 代表選考レースをしていた期間は、怪我をしてしまったり、メンタル的にも不安定だったりして、いろんな意味で“それどころじゃなかった”んですよね。
やるからには勝ちたい、世界を目指したいという気持ちはもちろんありました。ユースの大会で優勝したことで、応援してくれる人も増えている。友人や家族も支えてくれている。だからこそ頑張らなきゃ、もっと練習しなきゃって空回りしていたというか。「どうしたら失敗しないか」「どうしたら評価されるか」ばかり考えて、ブレイキンを楽しめなくなっていったんです。
楽しくないから、自分の踊りに納得できない。そうすると、「本当にこれでいいのかな」って不安が積み重なって、本番でうまくリズムに乗れなかったり、練習では絶対しないようなミスをしてしまったり。そうするとさらに自分のダンスに自信がなくなる。そんな悪循環が続いていた時期でした。