7月26日に開幕し、数々の名シーンが誕生しているパリオリンピック。8月9日、8月10日には、注目の新競技「ブレイキン」が行われる。各国の出場者が、DJの流す曲のリズムやビートに即興で動きを合わせて、個性あふれるダンスを競う。日本からは男女4人が出場し、史上初のオリンピックメダルを目指す。
今回、惜しくも日本代表に選ばれなかったのが、ブレイキン国内トップ選手の河合来夢さん(23歳、ダンサーネーム・RAM)。2018年に行われたユースオリンピックで金メダルを獲得し、パリオリンピックでの金メダル候補とも言われていた。彼女は、5歳から始めたブレイキンとどのように向き合い、日本代表落選をどんな気持ちで受け止めたのか――。(全2回の2回目/1回目から続く)
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母が岡村隆史やゴリのダンスに憧れて…
――RAMさんがブレイキンを始めたきっかけは?
河合来夢さん(以下、RAM) 5歳のときに母に連れられて、近所のダンススクールに行ったのがきっかけです。いわゆる「習い事の一環」として、始めました。
――なぜお母さんはRAMさんをダンススクールに?
RAM 母が学生の頃、ナインティナインの岡村隆史さんやガレッジセールのゴリさんがブレイキンを踊るテレビ番組を観て、「自分も踊ってみたい!」と思ったものの、運動が苦手で断念したのだそうです。
私が生まれてから、「自分の子どもには、運動が苦手で何かを諦める経験をさせたくない」と考えていたところ、近所にブレイキンを教えるダンススクールがあるのを知って。ブレイキンなら、子どもが楽しみながら運動できるんじゃないか、ということで。
「楽しい」より「辛い」と思う時期が長かった
――初めてダンススクールに行ったときのことは覚えていますか?
RAM はい。最初にスクールに行ったときは人見知りで大泣きしてしまって。先生に抱きかかえられながらレッスンを受けたのを覚えています。2回目のレッスンは、「次のレッスンを頑張ったら、来夢が欲しがっていたルービックキューブを買ってあげる」という母の言葉につられて、しぶしぶ行きましたね(笑)。
そのあとも、「楽しい」より「辛い」と思う時期が長くて。スクールに行けば友達と会えるし、そこでダンスを踊るのは楽しいんだけど、とにかく練習がしんどかったんですよね。
どのスポーツにも言えることかもしれませんが、頑張って練習してできるようになったことが、次の日にはなぜかできなくなる。「今日はできた!」「次の日はダメだった」の繰り返しで、その「ダメな日」が発表会や大会と重なることも多い。思うようにいかない感じがすごく辛くて、小さい頃は「親が通えって言うから……」と思いながらスクールに通っていました。