『津波の霊たち――3・11 死と生の物語』(リチャード・ロイド・パリー 著/濱野大道 訳)

 東日本大震災が起きたとき、私はカナダ北極圏を徒歩旅行しており、発生時の混乱をほとんど知らないまま過ごしていた。日本人なのに震災を経験できなかったことが変なトラウマとなり、無意識にその瘡蓋に触れたくないと思っていたのか、震災ものの本には手を伸ばさない傾向が強かった。本書を読もうと思ったのは、ルーシー・ブラックマン事件の深層を暴いた傑作『黒い迷宮』の著者によるものだったからである。

 本書は七十四人の児童と十人の教職員が津波にのまれた石巻市の大川小学校の悲劇を扱っている。震災時に不在だったとはいえ、この小学校で途轍もなく悲惨な出来事が発生していたことは私も知っていた。しかし詳細は何も知らなかった。教師の一人が生きていたこと、学校の裏に山があり、何人かの子供たちが裏山に逃げようと主張したこと。遺族が裁判を起こし勝訴したこと。こうした事実を私はこの本で初めて知り、これほど大きな不条理を積極的に知ろうとしなかった自分を、とても恥ずかしく思った。

 ここに書かれているのは被災者たちの魂の物語だ。津波に飲まれて突如人生を絶たれた子供たちの魂。愛するわが子を喪った悲しみに打ちのめされ、やり場のない怒りに震える遺族の魂。寺の住職のもとに訪れる霊に取り憑かれた人たちの魂。

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 被災地は、死者数や被災総額等のデータや表層的な事実からはこぼれ落ちてしまう人間たちの精神の蠢きや、心のエネルギーに満ちている。著者はこうした被災者たちの魂がゆらめく目に見えない震災の深層を、徹底した取材と、言葉の一つ一つに力を込めた重厚な文体を駆使することで、目に見える具体的な事実に変換して書き記していく。

 著者は出来事を時系列的につなぐのではなく、どこまでも複眼的かつ重層的にこの悲劇を物語ろうとする。この物語を可能ならしめているのは、〈われわれ〉とは異なる外国人という視点で震災を眺めようとする態度だ。そのせいか筆先は時折、日本そのものに対しても向かう。考えてみれば東日本大震災はこの国を象徴する出来事だった。日本人は未曽有の災害が襲来する自然風土のなかで暮らし、いつか地震で死ぬかもしれないこと、次は自分の番かもしれないことをどこかで意識しつつも、でもそのときはしょうがないかと諦観しながら生きている。このように運命を恬淡と受け入れ、自然に対してはただ耐えることを美徳とする独特の精神風土に著者はやりきれなさを覚える。

〈私としては、日本人の受容の精神にはもううんざりだった。過剰なまでの我慢にも飽き飽きしていた〉との言葉が胸に突き刺さる。著者は何が起きても主体的に変わることのできない日本人の魂そのものを描こうとしたのかもしれない。

津波の霊たち──3・11 死と生の物語

リチャード ロイド パリー(著),濱野 大道(翻訳)

早川書房
2018年1月24日 発売

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