100取材したうちの2つか3つでも放送に……
――長年ご自身が箱根駅伝と関わってきて、特に印象深かったシーンや取材はありますか。
町田 私が入社したころに言われたのは、「取材したうちの二割から三割を放送に出せればいいほうだよ」ということでした。でも実際に入社して1、2年目はサブアナウンサーとして、声を出すことはなく先輩アナウンサーを隣でサポートし、3年目で実況を担当するようになると、言われていたことは噓だということが分かりました(笑)私の感覚でいうと100取材したうちの2つないし、3つくらいが放送に出せればいいという感じですね。
「もっと取材をしておけば良かった」と思うこともあれば、「あのとき聞いておいて良かった」と思うこともあります。2011年の第87回大会にむけて上武大学を取材したときは、4年生の地下(ぢげ)翔太選手から卒業後の進路について「地元の村役場に就職します。箱根は競技人生の集大成であり、これからの人生のスタートラインです」ということを聞き出していました。迎えた大会当日、最初で最後の箱根となった地下選手はアンカーを任され、19位ながら力を振り絞って走る姿が映しだされたんですね。
当時の花田(勝彦)監督が運営管理車から「おい、地下。よく頑張ったな。よく熊本から来てくれたな。ありがとうな。さあ、残りは、お前の花道だぞ。お前の桧舞台だ!頑張って良かったな」と声がけし、それを紹介した蛯原(哲)アナウンサーが感極まって涙ぐみながら「地下選手は地元の球磨村に戻り、村役場に就職して第二の人生が待っています」と実況しました。私が取材した内容でした。地下選手はフィニッシュすると、走ってきたコースのほうを向いて一礼したんです。こういう状況を想定して聞いた話ではないんですが、放送で選手が輝く瞬間があると、100取材してよかったなと本当に思いますね。
『俺たちの箱根駅伝』の中でも、辛島アナウンサーが事前に取材する場面があるんですが、彼の目を見て、選手たちは自分たちへの理解と愛情を感じ取ります。そこで辛島アナは一瞬にして選抜チームの懐に入って取材を進めていきます。限られた取材時間の中でいかにして選手の心の扉を開けるか、これは実際の取材でも本当に重要です。私のプライベートなことや盛り上がりそうな話題を提供して緊張を解きほぐそうと取材時間の多くを使ってしまうこともあるので、選手を目で落として最初の質問から核心に迫っていく辛島アナのような取材ができたら、最高だなと思います(笑)。
町田浩徳(まちだ・ひろのり)
1973年新潟県生まれ。早稲田大学人間科学部を経て98年日本テレビ入社。多くのスポーツ中継に携わり、現在は「Oha!4 NEWS LIVE」(水曜)に出演、「DayDay.」(金曜)や「ライターズ!」のナレーターも務めながら、野球・MotoGP・ラグビーなどの実況を担当