「掃除しなよ」と伝えても…

 当時について、明らかにゴミとわかるものが増えているというよりは、とにかく“モノが多い”という印象だった、と振り返る。彼が実家に帰っても、子ども部屋のベッドは使えないため、リビングのソファで眠るしかなかった。地元に帰る度に父や姉に「掃除しなよ」と伝えても、対応してもらえなかったという。

 また、姉のヌイグルミが増えた理由について思い当たる節がある、と高畠さん。

「教育熱心な母は勉強ができる姉に大きな期待を寄せ、厳しく接していました。そのせいか、母と一緒に暮らしているときの姉は物欲をセーブしていたように思います。長年、抑圧されてきた感情が、母の入院をきっかけに爆発したのかもしれません」

ADVERTISEMENT

父の死をきっかけにゴミを片付けることに

 入院から1年の闘病期間を経て、母は帰らぬ人に。その後も、父と姉は実家で2人暮らしをしていたが、父と姉のあいだには会話もなく、お互いに干渉しない生活を送っていたという。部屋の荷物は年々増え、床が見えない状態になっていた、と高畠さんは話す。

「母が亡くなり10年が経った頃、80歳になった父が自宅で急逝しました。姉は父の異変に気がつかず、父を見つけて救急車を呼んだときには、すでに亡くなっていたそうです。父は母が亡くなってから飲む酒の量がかなり増えていたので、その影響もあったのかもしれません」

 通夜と告別式で父を見送った翌日、高畠さんは姉と姉の知人の3人で実家の大掃除を決行。清掃業者に依頼する方法も考えたが、業者との金銭トラブルも多いと知り、自分たちの手で掃除を行うことになったという。

 父を亡くした喪失感を抱えながら「今掃除をしなければ、もう実家には帰ってこられない」と、自らを鼓舞した。

高畠さんは「父が買った大量のノートや文房具もありました。何か書こうとするのですが1~2ページで使うのをやめていたのが印象に残っています」という(本人提供)

「本気で掃除に取り組んでみて、家には処分に困るものがたくさんある事実に気づかされました。まず、母が亡くなって誰も使わなくなった食器棚に入っている大量の皿。ホコリにまみれていて使う気にもなりませんでしたが、陶器類は不燃ごみなので、処分するまで時間がかかりましたね」

 高畠さんは実家の片づけを通して、「ゴミ屋敷の掃除は、生き物との戦いでもある」ことを痛感したという。その壮絶な体験を後編で紹介する。