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イメージを得るための人類の長い歴史

 そうして絵画、写真、映像のあわいを漂う小瀬村作品がわたしたちのもとに届き、観る側ははたと気づかされる。そうだ手法や技法じゃない、イメージだけが大切なんだということに。

《Drop Off》2015年

 アートの歴史をさかのぼっても、彼女のしていることは至極まっとうなことだったりする。

 思いをかたちにするために、人は最初に絵を描いた。洞窟で暮らしていた太古の時代から、あちらこちらに動物や、遠く離れた大事なだれかの姿を描き、表現をせずにはいられなかった。

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 時代を経るにつれ腕前は上がり、遠近感や立体感を出す描き方も開発され、外界とそっくりの世界を平面上に留められるようになっていく。

 すると欲が出て、もっと写実の腕を極められないか、簡単に外界を留める方法はないかと考えるようになった。19世紀になると、科学技術の知と力を活用して写真術が発明された。だれもが手軽に「そっくりの外界」を手に入れられることとなる。

《episodeⅢ》2002年

 欲望はさらに膨らむ。外界では時間が流れ、事物は動いている。これをそのまま再現できないか。そこで、残像が残るという目の構造を利用して、写真を幾枚も組み合わせることで動画が生まれた。

 それぞれの時代においてあの手この手を駆使して、人はイメージを我がものにしようと試みてきた。それがアートの歴史をかたちづくっている。

 いまを生きる小瀬村真美は、人が長い歴史で蓄積してきたものを総動員して、自身が求めるイメージを得ようと創作に励む。その結果として絵画、写真、映像、それに彫刻なんかも含むユニークな作品が立ち現れるのだった。

 歴史ある原美術館の建築と拮抗する小瀬村作品、ぜひ実際に体験されたい。