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ホエールズの忌み番号なのか……迷走する「18」

 広瀬がトレードで去った後の「18」は迷走する。87年4月、第3の外国人選手として入団したMLB通算148本塁打の大物、S・レスカーノに与えられたのだ。日本プロ野球で野手が18番をつけたのは64年の小木曽紀八郎(中日)以来で、その後は2017年の岡大海(当時北海道日本ハム)のみというレアケース。岡の場合は読み方が同じ『エースをねらえ!』の主人公・岡ひろみにちなんで「エースのような活躍を」との意味合いがあったが、レスカーノの場合は「若い番号で空いているのが18だったから」という理由が大きかったように思える。

 それでもレスカーノが期待通りに打ってくれれば良かったが、22打席連続無安打と絶不調に陥った挙句、5月中旬に「140km/hの速球が怖くなった」と突如現役引退してしまったから目も当てられない。他球団では桑田真澄や郭泰源、山内和宏といった18番の面々が活躍する中、「ホエールズの18番は忌み番号なのか……」と僕らファンはトホホな気分になったのは言うまでもない。

 そんな「18」にかすかな光を当てたのが87年ドラフト2位の岡本透。それまで大洋は生え抜き左腕が育たず木田勇、新浦壽夫ら移籍組に頼ってきたが、岡本は1年目から活躍。91年は4完投を含む11勝、92年は2完封を含む8勝をマークし、同時期に台頭した野村弘樹と共に貴重な先発左腕としてローテの一角を担ったのだ。18番と言えば三浦大輔の次に岡本透の小気味良い投げっぷりを思い出す。

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1991年に11勝を挙げた岡本透。迷走するホエールズの18番に光を当てた頼れるサウスポーだった。(月刊ホエールズ91年7月号より)

 しかし岡本透は95年に日本ハムにトレード。代わりに18をつけた交換相手の松浦宏明は1年で引退。翌96年から18番に変わった助っ人M・バークベックはシーズン中に解雇の憂き目にあい、またもや縁起の悪さがファンの間で囁かれるようになる。

人一倍エースナンバーを切望していた三浦大輔

 1年間の空き番号を経た97年オフ、この年初の2桁勝利を挙げチームの2位躍進の立役者となった三浦大輔は、契約交渉の席で何度も直訴していた背番号18を再度希望する。今までは実績不足ということで退けられていたものの、23歳にして頼れる存在に成長した三浦の望みはついに叶い、ここに「三浦大輔 背番号18」が誕生したのである。

 とはいえ、歴史的には縁起がいいとは言えない番号である。当時三浦が18番に変わると言ってもファンの間ではさほど話題にはならなかったし、三浦もそれは重々承知の上。だからこそ記者会見の席上で「自分がそのイメージを変えてみせます」と言い放った。入団時に背番号46だった三浦は、18番が軽んじられる球団で人一倍エースナンバーを切望していたのだ。

現役時代の三浦大輔 ©文藝春秋

 ちなみにこの年の契約更改では、佐伯貴弘も26番から1番への変更を直訴している。しかし前年よりも成績がダウンしていたことで受け入れられず、「(1番をつけている)進藤さんにも了承してもらっていたのに話が通っていなかった。むちゃくちゃ腹が立つ」と会見で怒りを露わにした。だが当時の進藤達哉への存在感から考えると、背番号1は進藤にこそふさわしいし、佐伯には26番の方が似合っていた。

 18番をつけた三浦大輔のその後の活躍は改めて書くまでもないだろう。現役生活25年、42歳まで投げ続けた三浦は通算172勝と球団では平松政次、秋山登に次ぐ勝利数を挙げ、18番を「真のエースの番号」に育て上げた。2016年9月29日の引退試合でベイスターズの全選手が18番のユニフォームを着用し、セレモニーで三浦が18回胴上げされて見送られたことは、かつてのこの球団における「18」の存在価値を思うと、本当に感慨深いものがあった。

 そして、これからは新しい18番の歴史を小園健太が作る番である。昔は秋山登に齊藤明雄、現在は三嶋一輝が背負う17番、野村収、野村弘樹から今永昇太に受け継がれた21番など、ベイスターズにはエースナンバー的な番号が他にも存在する。今西廉太郎、権藤正利、三浦大輔に続き、小園は「18」にふさわしい投手になれるだろうか。

(参照:12月3日付中日スポーツweb、神奈川新聞)

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