英エコノミスト誌記者「イラン幽囚記」 第2回

ニコラス・ペルハム 英エコノミスト誌中東特派員
ニュース 国際
2019年7月、ニコラス・ペルハムは、記者としては珍しくイランへの入国ビザを取得することに成功した。ところが出張を終え帰国しようとしていた当日、当局に拘束された。本稿は、拘束時の貴重な記録である。第2回ではアパートからテヘラン北部のシムルグ・ホテルへと舞台は移り、自分がいつ捕まってもおかしくないと知りながら日常的な生活をするという奇妙な経験が始まった。
ニコラス・ペルハム
 
ペルハム氏

妻へのメッセージ

 私の拘束者らが一体何者なのか、制服も着ていなかったためわからなかったが、拘束開始から2日目に、ドクターは革命防衛隊の情報部隊の役人であると教えてくれた。

 イランの情報機関には多くの組織が存在する。1979年にイラン革命が起こった際、イスラム共和制は軍隊や官僚制など、旧政権の組織の大半を維持した。ただ、これらの組織を監視するための新たな層を導入したため、旧政権時代の権力とこの新たな上層組織は権力闘争を続けてきた。

 政府の情報機関が、自身が入国を許可した西洋人記者を拘束するというのは考えにくい。私を拘束したのは、より強力なライバル組織と考えるのが妥当だった。

 革命防衛隊がアメリカ大使館において52名の人質をとった、1979年のイラン革命が始まった当初から、革命隊は外国人を留置することについては着実に実績を積み上げてきた。1980年代にはヒズボラ〔レバノンを中心に活動している急進的シーア派イスラム主義組織〕は西洋の使節団や教師、ジャーナリストらを収監してきた。イランにおいても、再び外国人が逮捕されるようになっていた。こうした抑留者の多くは二重国籍者であり、スパイ容疑で2016年以来、投獄されている英国系イラン人女性ナザニン・ザガリ=ラトクリフなどがその良い例だ。しかしイラン国籍を持っていない者も中にはおり、これを考えると、私が直面する脅威はかなり現実味があるものだった。

 したがって、妻へのメッセージを口述して良い、とドクターが言った時には驚いた。私からのメッセージを彼の部下が私の携帯から送ってくれるというのだ。内容を急いで考えた。私の妻へのひたむきな愛と罪悪感、それに助けを求める(彼等が送るので、できるだけさっぱりとした)悲鳴を混ぜたメッセージを送ろうと決めた。

「愛するリピカ、明日の君のパリ出張までに帰ることができなくて本当にすまない。昨日から、テヘランで尋問のために拘束されている。僕に危害は加えられていないし、よく面倒を見てもらっている。明日の朝、また君に連絡をする。僕は大丈夫だから心配しないでくれ。永遠に愛しているよ。ニコ」

 その後の数日間、常に3人の男が私を見張っていた――彼等のシフトは24時間制だった。小さなアパートに(けっして小柄ではない)これらの警備官らと押し込められ、Tシャツと下着のパンツという姿で何日も共に過ごすという、驚くほど親密な時間を過ごすことになった。時間が経つにつれ、警備官たちの疑念は大方薄れたようで、私が逃亡するリスクよりは、この場所に外部から誰かが押し入ることを心配し始めたようだった。無謀な西洋人によるハリウッド映画さながらの救出劇が起こることを恐れているのだろうか、それともライバル組織である別の情報機関によって私という「資産」が奪われることを心配しているのだろうか。警備官らはアパートの鍵を、まるで誘惑するかのように、ドアの鍵穴に差しっぱなしにしていた。しかし誰かがドアをノックするたびに――それがただの弁当の宅配であったとしても――発作に見舞われたかのように行動的になった。一人が戸棚を数センチずらし、もう一人がピストルの銃口をもたげ、腕を伸ばす。準備が整うと、扉をほんの少しだけ――話ができる最低限――開き、宅配業者に食べ物を扉の外に置いて帰るように指示をした。扉を開け、食べ物を中に入れるのは、エレベーターが下りて行った音を確認してからだ。

英国によるイラン船拿捕
 
ほぼ同時期に発生した英国によるイラン船拿捕事件

私のペルシア語教師

 警備官の一人は私の語学の教師となった。私が物を指さすと、彼がその物の名前をペルシア語で答え、そこで2人で一緒になって正しい発音の練習をする、というものだ。短文にやっと入ったところで、彼は去っていった。もう一人の警備官は一緒に運動をしようと言い張った。そこで、向き合って床に座り、互いに足を絡ませ、腹筋運動をした。その翌日にはイランのラブソングに合わせて踊ろうと提案してきた。携帯電話で音楽を奏で、部屋の中を回転しながらぐるぐると回り、腕や手をくねらせながら、腰を回して踊った。私を含む他の男らは、一緒に踊るふりをして場を盛り上げながらも、大して踊らずに、彼一人が踊り回る光景を眺め、楽しんだ。しかし警備官と距離が縮まった、と思う都度、他の警備官に入れ替えられていった。

 ここから4日間のほぼ大半を、警備官らは携帯電話の画面に釘付けになって過ごした。彼等が観ていたのはインドのボリウッド映画や、くだらないストリート・ファイトなどが満載のアメリカあるいは中国の映画で、こうした不道徳な映画を禁じる検閲側にいるはずの彼等がVPN〔仮想LAN〕などを駆使して、検閲をかいくぐっていた。彼等はケバブ、ピザ、スイカなどを宅配で注文し、片付けを一切しなかった。私は毎朝、彼等が食べ散らかした皿を洗い、こびりついたピザやスイカの皮、ケバブの筋や軟骨をこそげ落とし、ゴミ箱に捨て、お茶を入れた。手に負えない子供たちの面倒を見る父親のように大きなため息をつく私に、彼等は「ありがとう」と申し訳なさそうに言った。

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source : 文藝春秋 2020年10月号

genre : ニュース 国際