仕事にも収入にも恵まれず、非婚率が高く、将来も危ないアラフォー世代
平成の30年間は、雇用という面でも、文字通り激動の時代だった。
就職の困難度合いを示す指標の一つである完全失業率は、平成になってバブル経済が崩壊した後も1990年代前半までは年平均2パーセント台の低水準にあった。しかし完全失業率は徐々に上昇、1953年(昭和28年)から総務省が労働力調査を現在の形式で公表して以来、1995年(平成7年)に初めて3パーセント台に到達する。さらに90年代後半には金融機関の破綻やアジア通貨危機などを通じて不況は急速に深刻化し、その影響は雇用も直撃した。
90年代末から2000年代初頭になると、不良債権処理に伴う早期退職や希望退職の大量実施など、中高年ホワイトカラーに対する雇用不安が「リストラ」という言葉と共に広がっていく。2002年(平成14年)6月と8月には、完全失業率は史上最高の5.5パーセントを記録した。
一方で当時、若者には学校卒業後に正社員になっていない人々が増えていた。ただ「フリーター」という言葉の流行もあり、定職に就かない若者の増加は、自由な生活を求める意識の変化と捉える向きも多かった。若者の雇用対策も職業意識の啓発などに限られ、リストラ中高年ほど問題視されることはなかった。
アラフォー世代の受難
筆者はそんな中高年の雇用ばかりを重要視する風潮に違和感をおぼえ、2001年に『仕事のなかの曖昧な不安』という本を書いた。その頃仕事をしたくても仕事につけない完全失業者は300万人以上と、横浜市の人口に迫るほど拡大していた。このうち中高年ホワイトカラーを代表する45〜54歳の大学・大学院卒の失業者はわずか5万人。その数は翌年ワールドカップ決勝戦が開かれる予定だった横浜国際総合競技場(現日産スタジアム)に十分収容できる。本当に深刻なのは、失業者の大部分を占める若者だ。若者に仕事がないのは意識の変化のせいではない。若者の採用よりも中高年の雇用維持を優先する社会構造があるからなのだ――。
懸命に就職活動をしながらもまったく採用されることなく、そのうち働くことに自信を失い、就活を断念してしまった若者を「ニート」と呼ぶ習慣は、日本社会に定着したが、そんな若者が急増していることに警鐘を鳴らす『ニート』という本をジャーナリストの曲沼美恵氏と共著で書いたのは、2004年のことだ。それ以前は仕事を探している無業者である完全失業者や、正社員以外で働くフリーターが若者の間で増えていることは認識されていたが、働くこと自体を諦めてしまった若者の存在にはまったく目が向けられていなかった。
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source : 文藝春秋 2019年1月号