「狭いところですが、どうぞ」
そう言って都内某所にある仕事場に通してくださったのは画家の石原延啓さん(57)。まだ年が明けて間もない寒さの厳しい日でした。
延啓さんは、2022年の2月に他界された石原慎太郎さんの四男です。これまで小誌「文藝春秋」では、延啓さんにたびたび父・慎太郎さんについてのお話をうかがってきました。照れくさそうにしながらも、言葉を選んで真摯に答えようとされる姿に心を動かされてきました。
今回、小誌2024年3月号に掲載された「父慎太郎を作った人と言葉」では、かねてより「父は政治家ではなくアーティストだった」と発言されていた延啓さんに、慎太郎さんが芸術家としてどのような人物や思想の影響を受けてきたのかを存分に語っていただきました。慎太郎さんと賀屋興宣、中曽根康弘、三島由紀夫、土方巽、奥野肇、アンドレ・マルロオ、伊藤整といった人物たちとの交流が明かされています。
延啓さんが実家で発見した慎太郎さんの遺品についても語っていただきました。70年も前に書かれた「太陽の季節」の生原稿や、新橋にあった伝説のクラブでの三島由紀夫とのツーショット写真などが発見されたのです。
記事には盛り込めませんでしたが、実はこの日、取材に訪れた延啓さんの仕事場にも所狭しと慎太郎さんゆかりの品々が置かれていました。1956年に制作され、慎太郎さん自身が主演を務めた映画「日蝕の夏」のポスター。モディリアーニの絵にインスピレーションを受け、慎太郎さんが描いたデッサン……。
「『日蝕の夏』もいいですが、実は父にはトリュフォーと共作した『二十歳の恋』という作品もあってですね……」
「モディリアーニの絵のデッサンは私も本物かと見間違えました。父は短気だから、あっという間にデッサンも仕上げてしまって……」
私が一つ一つの遺品に見惚れていると、延啓さんが嬉しそうに説明してくださり、そのたびに慎太郎さんへの愛情が伝わってきました。
取材の最後に私が「慎太郎さんが亡くなり2年が経ちましたが、改めてどんな心境ですか」と聞くと、延啓さんからは「なんだかまだ実感が湧かないんですよね」という答えが返ってきました。続けて「慎太郎さんの存在感がまだ残っているからでしょうか」と問うと、延啓さんはふっと後ろを振り返り「どうなんですか?」と語りかけました。その視線の先には慎太郎さんと妻・典子さんの二人が笑顔で並ぶ写真が置かれていたのです。
延啓さんは遺品整理の作業を通して、「父と出会い続けている」とおっしゃっていました。その表現は比喩ではなく、紛れもない現実なのだと感じました。
(編集部・祖父江)
source : 文藝春秋 電子版オリジナル