井上ひさし 心友

小川 荘六 親友
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言葉の魔術師と謳われた、作家であり劇作家の井上ひさし(1934〜2010)。井上が「心友」と呼び、学生時代から付き合いのあった小川荘六氏との濃密な54年間。

 井上とは昭和31(1956)年、上智大学で出会ってからの深く長い付き合いだった。

 大学時代は、麻雀をやる仲間と井上、そして私がいつも一緒。麻雀をやるのは決まって横須賀の我が家で、麻雀をやらない井上もなぜか麻雀組と行動を共にしていた。誰彼構わず寝泊まりさせるオープンな家で、皆が押しかけてきて3日も4日も3度の食事付きで麻雀をしていても、「学生の居候が増えた」くらいの感覚だったので、皆も気が楽だったのだろう。麻雀に興味のない井上は、ほとんどの時間を本棚の新潮社『現代世界文学全集』を読んで過ごし、本に飽きると、離れの2階から階段を降りて母屋に行き、茶の間で私の家族と長い間、談笑していた。

井上ひさし Ⓒ文藝春秋

 5歳で父親を亡くし、14歳から児童養護施設で暮らすことになった井上にとって、賑やかな我が家は居心地がよかったのかもしれない。後に井上は、私の兄への手紙で「あんなに楽しい毎日って、ありませんでした。もしも過去に戻れるものなら、わたしは第一番に『あのころの小川家』を選びます」と書いていた。

 井上とは趣味や考え方の方向性が同じで、言葉を選ばずに好き勝手に話ができた。「荘六さん、それは違います」が井上の口癖。たとえ同じ意見や結論でも、考え方の視点、プロセスが違うといつも言っていた。

 井上は、私の妹と1年近く付き合っていたことがあった。高校時代から我が家によく来ていた兄の教え子と、井上の2人から同時期にプロポーズされた妹は、悩みに悩んで兄の教え子を選んだが、この選択は正しかったと思う。井上と義兄弟にならなくて正直ホッとしている。

 1996年4月からは私の長女・未玲が井上の秘書として勤めることになった。未玲に秘書を頼めないかと井上から相談された時、私は二つの条件を出した。「仕事ができないと思ったら躊躇せず辞めさせること」。そしてもちろん「本人が承諾すること」。本人は手放しに喜んで承諾し、井上からも気に入られたのはよかったが、これは私の不幸の始まりでもあった。というのも、井上は未玲をべた褒め。「これまで、後処理のできる人は何人かいた。でも、“先処理”ができる人は、未玲さんだけ」と大絶賛。そして事あるごとに「トンビが鷹を生むとはこのことだよ。荘六さん、少しは見習ったら?」と面白がって私をいじったのだ。まったくいい迷惑だ。

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source : 文藝春秋 2025年1月号

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