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「最初のころ、メールで記事を送ってきた新聞社もあった」

「同時にシステムを改良し、いつでも更新できる仕組みも整えた。いま、この瞬間のニュースがトップページで分かる。これが大きかったと思います。当時は配信側の新聞社ものんびりしたもので、配信の大半は朝刊と夕刊のタイミング。最初のころは、メールで記事を送ってきたこともあったようです」

「二つめは、ニュースの幅を広げたことです。2000年代初頭までは新聞社の力が圧倒的に強く、ニュースと言えば、政治・経済・社会・国際という『ニュース・ザ・ニュース』でした。配信も、ほとんどがそういう内容です。自社HPをつくって先行していた全国紙にしても、例えばサッカーの中田英寿選手を大きく取り上げることはしない。私たちはそこを変えた。配信契約先の数を増やし、幅も広げ、エンタメ、スポーツ、IT、マネー、趣味関連なども『ニュース・ザ・ニュース』と並ぶニュースとして扱うようにしました」

2000年ごろのヤフーのトップ画面 ©AFLO

 前者の「随時更新」は、毎日何度もYahoo!をクリックする層を大幅に増やした。後者は、新聞やテレビがつくってきた「ニュースの価値はわれわれが決める」という文化を根底から覆した。奥村氏の入社時、Yahoo!へのアクセスは、検索など他のサービスも含め1日で1500万PVを記録したことがある。月間に換算すると、4.5億PVだ。それが2010年にはニュースのみで月間45億PV、直近は同じく150億PV。ニュースがけん引する形でヤフーは急成長を遂げていく。

ユーザーにウケたのは「WIRED」や「ITmedia」

「平成」に歩調を合わせたかのような、この20年の劇的な変化はニュース界に何をもたらしたのだろうか。

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1996年に米ヤフーとソフトバンクでヤフー株式会社を設立した孫正義氏 ©文藝春秋

「新聞社が自社ニュースをHPで公表しはじめた90年代後半、ネットユーザーの大半は研究者や技術者、パソコン好き、そしてマーケット情報の必要な金融関係者などでした。みんな若い。で、彼らからすれば、新聞社のサイトには欲しい情報がなかった。新聞社はそういった分野を精力的に取材していないし、息抜き的なスポーツやエンタメ情報も出せない。先ほども言ったように、伝統的メディアはそもそも、政治・経済・社会・国際のみをニュースの本流と考えていましたから」

「そうしたなか、IT専門の、例えばZDネット(現ITmedia)やWIREDといった新興メディアの記事が、ユーザーに大歓迎されました。米国のIT事情を翻訳しただけでも、ものすごく読まれる。Yahoo!ニュースもそういった層を狙ったわけです。早くからIT系メディアやスポーツ紙、夕刊紙などとの提携を増やし、第三者的立場から全方位で、つまり企業の枠を超えてニュースを集めました。良く言えば、ユーザーのニーズを的確につかんだ、言葉を崩せば大衆迎合。そうした結果、ネットユーザーたちは気付いたのです。『伝統的メディアには欲しい情報がない』と」

 奥村氏の話は、核心に迫ってきた。

 ニュースの制作・流通において、新興のネットメディアは新聞社のポジションを奪ってなどいない。新聞社と新聞記事は、全く違う理由で瓦解している――。それが奥村氏の見解だ。詳しく語ってもらおう。