新聞メディアのプロパガンダではないか
奇しくも7月9日、朝日新聞朝刊でハンセン病患者家族への賠償を命じた熊本地裁判決について、国が控訴する方針であることが一面スクープとして載ったが、その日のうちに控訴断念が発表され、朝日新聞は誤報としてお詫びする事態になったばかりだ。これについて、SNS上では、朝日新聞が官邸にハメられたという趣旨の陰謀説がメディア関係者に見られた。
朝日新聞が官邸に偽情報を掴まされたのは事実かもしれないが、それを声高に主張することは、政府関係者のリークを鵜呑みにして報道したと喧伝するのと同じであり、調査・検証能力の欠如を宣言するに等しい。
こういうリーク頼りのメディアも「新聞記者」では描かれているが、いずれも非実在メディアの報道として描かれている。実際はこういう問題があるのに、キレイなとこだけ実在メディアの名をいきなり登場させるのは、新聞メディアのプロパガンダではないか。
マイネームイズ東都新聞記者
新聞メディアのプロパガンダという表現を用いたが、この映画の主人公たる吉岡は、新聞記者という職業にあまりにのめり込み過ぎているのもその理由だ。それが窺えるのが、劇中に登場する吉岡のTwitterアカウントだ。
吉岡が自身のTwitterアカウントに登録してある名前は「東都新聞記者」。これを見た時、最初は「東都新聞記者吉岡」が長すぎて表示が省略されているのかと思ったが、後に登場したブラウザ上の画面にも「東都新聞記者」という名前が表示されているのを見た。筆者の見間違いかと思いTwitterで検索してみると、そこに突っ込んでいるアカウントが複数あり見間違いではないようだし、Twitterの仕様では50文字まで表示可能で省略の線も無さそうだ。
Twitterアカウントを持つ記者は数あれど、所属組織の名だけを前面に押し出してくる記者アカウントは記憶にない。仮に「週刊文春」の記者個人がTwitterアカウントを公開したとして、名前に「週刊文春記者」としか書いてなかったら、多くの人は「こいつヤベェ」と思うだろう。SNS上のアイデンティティを、自身の属する組織と肩書に委ねる感覚は理解できなかった。この表記が逆に「新聞記者」という題を表しているのかもしれない。
この新聞にしてこの政府あり
映画が終わり、劇場から出てきた時、筆者は暗澹たる想いに囚われていた。結局のところ、政府の問題も新聞の問題も「この政府にしてこの新聞あり」に過ぎないのではないのかと。
今の政府が大きな問題を抱えているのも分かるし、権力とマスコミの関係、そして映画の問題意識は分かる。だが、その結果として出力されたのがこの作品なのかと思うと、正直頭を抱えざるを得ない。
この映画での役者達の演技は素晴らしい。松坂桃李は揺れ動く内心をよく表現していたし、シム・ウンギョンの嗚咽はちょっと引くくらい鬼気迫っていた。演出やカメラワークも良く、素晴らしい仕事であるのは間違いないのだが、現実と創作を都合よく混ぜ合わせる手法を多用した本作を、筆者は素直に称賛することはできなかった。
なお、この原稿を書いているちょうど今、CBCテレビ報道部公式Twitterアカウントが、与党候補者に対する暴力・妨害を肯定・揶揄するようなリプライをしたことについて謝罪した。「弊社報道部の意思に基づくものではない」として調査を行うそうだが、CBCテレビと言えば親会社の中部日本放送の筆頭株主は中日新聞で、東都新聞社のモデルと思われる東京新聞の発行元である。「新聞記者」と逆パターンであるが、これも内調によるハッキング工作とでも言うのだろうか? いずれにせよ調査報告を待ちたい。