「あの時があるから、その後の自分はある」
次のマウンドは本拠地千葉での5月27日のオリックス戦に決まった。ここで結果が出なければ妻に「もう今年限りで野球を辞めたい」と言うつもりだったという。「実家に帰って親父が営んでいる建築業を手伝わせてもらおうかと思っていた」。そしてそんな夫の苦悩している姿も見ていた妻も「もう辞めてもいいよ」と声をかけるつもりでいた。野球人生を賭けた運命の試合。渡辺俊は勝った。5回2/3を投げて2失点。勝ち投手になった。
「あの試合でもし、打たれていたら自分の中で、自分はプロでは通用しないのだと諦めたと思う。その後の自分はいない」
この世界に「たられば」はないが、もしあのゲームで結果が出なければ、この男は伝説のサブマリンとなりえなかった可能性が高い。東京ドームのマウンドで再びアンダースローを披露し、スタンドをどよめかせることはなかっただろう。自分の置かれている状況をしっかりと把握し逆境を乗り越えたからこそその後の栄光がある。
「自分で自分を追い込んでいた部分はあるけどあの時があるから、その後の自分はある。無死満塁のピンチもあの時のこれが駄目なら野球人生が終わるという精神状態に比べたら楽なものだった」と笑いながら振り返る。
今はどうか知らないがマリーンズ時代の自宅のリビングにはその時のヒーローインタビューでもらったマリーンズのキャラクターの人形が大切そうに置かれていた。ちょっと古びていたその人形は渡辺俊の宝物であった。
東京ドームでのセレモニーピッチ。渡辺俊のボールを受けたのはオリックス戦でKO劇となった際の捕手・里崎だった。この男もまたその悔しさを忘れずその後、見事にチャンスを掴み、日本を代表する伝説の捕手となった。渡辺俊は「現役だったらサト(里崎)にベンチに戻ってから怒られるような投球になってしまった」と笑った。里崎も「意外とキレのあるいい球でそこそこスピードもあってビックリした。正直、もうちょっとショボいボールがくると思った」と独特の表現で労い笑った。今は輝かしい実績と栄光の記憶だけが残っている。そんな二人にも下積み時代はあった。苦しみ、悩み、壁にぶち当たり、乗り越えて掴んだ栄誉だった。マリーンズファンで満員となった東京ドーム。試合前セレモニーを見て、ふとそんな昔の思い出が頭を過った。
梶原紀章(千葉ロッテマリーンズ広報)
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