ハラハラの極みで「これぞおっさんずラブ」を実現させた制作陣
「ハラハラするような事件や展開は要らない。ただただ、キャストたちがいちゃいちゃと過ごす穏やかな日常を」——そんなファンの要望に対して、だが貴島彩理プロデューサーや瑠東東一郎監督や徳尾氏に代表される制作陣が出したタイトルはハラハラの極みの「LOVE or DEAD」であり、大爆発を背負ったキャストたちのメインビジュアルだったのだから、さすが彼らは一筋縄ではいかない。
人を愛することを突き詰めて描くのに、いかにもな悲恋シチュエーションを借りてくるのではなしに、よりによって「おっさん同士の恋愛」に題材を求めながらもあれほどのヒットを放てるチームだ。彼らは劇場版でも豪華キャストの軒並み胆力ある演技力やシネマサイズならではの描画ポテンシャルを活かしながら、「人を愛することの、その向こう側」を丹念に、そして笑えるほど壮大に、緩急使い分けて表現していた。
ネタバレとなるわけにはいかないので詳細は書けないものの、筆者との対談で徳尾氏が「全てのキャラクターに、その後の展開がある」と語っていた通り、映画は「誰も不幸にならないドラマ」と呼ばれる『おっさんずラブ』らしい優しい未来を示すエンディングを迎える。
そして貴島プロデューサーが「いま私たちに求められていることは何だろう」と企画段階から熟考した結実として、新キャスト狸穴(沢村一樹)やジャスティス(志尊淳)含むメインキャスト5人揃い踏みのコミカルなシーンは、OL民が歓喜して泣きむせぶような、「これぞおっさんずラブ」とのカタルシスさえ感じさせる出来だ。
社会的な鎧を脱いで真っ正直に愛を語る
公開初日に見た時も、朝8時半からの回で見た時も、OL民を含む観客はみな物語の中に素直に没入し、驚き、笑い、すすり泣いていた。この時代に大人の女たちがそんなに素直になれるなんて、稀有なことだ。それは『おっさんずラブ』が物語として持つ素直さの賜物。社会的な鎧を脱いで真っ正直に愛を語るキャラクターたちの優しさが、見る者の中にそういうちょっとした隙間を開けてくれるからなのだろう。
さて、この後にはキャストの舞台挨拶付き上映や、「声出し、サイリウム、コスプレOK」の応援(フィーバー)上映なども控えているし、OL民はまだまだ劇場に通うはずだ(少なくとも筆者は通う)。制作サイドが考えた「いま私たちに何が求められているか」は、民が求めているものを見事に、的確に捉えているのである。