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「自殺するつもりだった」ウォッカ6本をあおる

 ついにソ連軍が進駐してきたとき、志ん生はウォッカをあおった。それは大連で再会した旧知の銀行員から安く分けてもらったもので、7本あったが、彼はこの強い酒を6本も飲み干してしまった。意識を失って目を覚ましたときには夜になっていた。志ん生はこのときの行動について自殺するつもりだったとのちに語っているが、酔いつぶれた彼を介抱した圓生は《なあに嘘ですよ。(中略)ありゃあね、自殺するような、そんなヤワな人間じゃないですよ》と否定する(※8)。

 ともあれ、志ん生と圓生はソ連軍の進駐後も、世話になっていた現地の観光協会の人に頼まれて、二人会を開いた。彼らとしても噺をやっているときだけは苦労を忘れることができた。それと並行して、帰国のため密航船に乗せてもらおうとカネを払いこんでいた。しばらくすると明日には船が出ると聞かされ、終戦後に住んでいた観光協会の2階の部屋を大喜びで引き払ったが、翌日に嘘だとわかる。行き場を失った2人は、以来、贔屓の家などを泊まり歩くことになる。

1922年にりんと結婚していた(写真は1961年撮影) ©文藝春秋

博打で大負け、現地女性と重婚未遂……

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 この間にも、志ん生が博打で3500円も大負けしたり、圓生が寂しさをまぎらわすため、東京に妻がありながら現地在住の小唄の師匠と結婚したりと、さまざまなことがあった。ちなみに志ん生も現地で結婚するつもりで見合いをしたが、相手の酒癖の悪いのにさすがの彼も参って引き下がったという。