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「愛子天皇待望論」の水脈はどこにあるのか

 また、2005年から2006年にかけては小泉純一郎内閣が女性天皇・女系天皇容認に向けた有識者会議を開催したが、これは愛子内親王の即位を前提としたものであった。悠仁親王が生まれる前まで、いずれ愛子内親王が天皇にならなければ天皇制は立ちゆかなくなるという雰囲気があったとも言える。こうした状況は、現在の愛子天皇待望論や女性天皇・女系天皇を容認する世論の水脈になっているように思われる。

雅子さまと愛子さま 宮内庁提供

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 学習院初等科在学中の2010年には、学校内でのトラブルに起因する不登校が報道された。こうした問題は、学級崩壊、不登校などが問題視された社会の状況とも符合する。その意味でも、私たちと同じ問題を共有する女性皇族として、愛子内親王への注目はさらに高まっていた。雅子皇太子妃の適応障害という病気も、ストレスを多く抱える現代社会特有の問題として捉えられる。皇太子一家は、まさに人々と同じように苦しみを抱えながら日々の生活を送る存在であった。

2010年11月、JR宇都宮駅に到着されたご一家 ©JMPA