本書には分かりにくい文章が多く、支離滅裂さは際立っている。後半に登場する一文を引用しよう。
〈原理的に、自律分散型システムは、単一障害点を持たないため安定的に長期運用され寿命が長い点と、自由競争がプレイヤーの進化を促進するという点から、持続的にイノベーションを産むことを可能にしている〉(54頁)
この一文を読んでこれが何を意味するのか分かる人は、行間を読む能力が高すぎるか、妄想家のどちらかだ。私はこれに似た言葉遣いをする人間を咄嗟に思い出した。東京都の小池百合子知事である。
ダイバーシティ、アウフヘーベン、ワイズ・スペンディング……。小池は、横文字を多用することによって、中身のない話をさも何か権威的な話をしている様にみせる。いわば「意識高い系」の典型だ。私の考える「意識高い系」を構成する要素は、「実際には何も中身がないが、必要以上に自己を過大に評価して他人に喧伝する」こと。このように大澤は、「意識高い系」と「ネット右翼」が合体した存在である。
私の知る範囲では、この2つの特性を併せ持つ人は少ない。いわば異形の存在である。なぜなら「意識高い系」は、漠然と多幸的で抽象的な横文字や世界観を好むので、具体的な国名や民族を指して憎悪感情を露わにする「ネット右翼」とは正反対の考え方を持つのが一般的だからだ。
さらに大澤は、強烈な市場原理主義を信奉している。それはどういうことか。次の一文が象徴的だろう。
〈今生き残っている生物は生存競争というゲームを勝ち抜いた生物であり、脳の仕組みは生存競争を戦い抜くのに適した構造をしているということ、こうしたルールは、市場と企業との関係でも同様であるということである。(略)自然というのは弱肉強食なので、勝った生物だけが生き残るようにできている。生き残れるかどうかは、環境の変化にいかに合理的に適応できるかに大きく依存する〉(12頁)
これが冒頭の、大澤による「中国人は採用しない=市場の中で非効率な労働者は差別されて当然」という発想の根幹にあると私は踏んだ。ただ、この「生存競争」という考え方は巷にあふれる「ダーウィンの進化論」の誤った解釈そのままだ。
ダーウィンが言ったのは、生物の競争による淘汰ではなく適者生存による「棲み分け」であった。そして、このダーウィンの進化論を同じように誤解釈し、人間社会にあてはめた「社会ダーウィニズム」(社会的な競争の結果の脱落の肯定)を政策として実行したのはナチスのユダヤ人迫害政策である。
断っておくが私は、大澤をナチスと同列だと言っているわけではない。ただ、大澤の本を読むと、この「社会ダーウィニズム」的な世界観を日本社会に広げるべきだと説得されているようにすら読めるのだ。