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革命防衛隊は「イスラム革命」覇者のシンボル

 そもそも革命防衛隊が誕生したのは、親米派政権を打倒するためのイスラム革命が起きた1979年。当時は、そのカリスマ的指導者だったホメイニ師の私兵でした。当初は、革命政権の中からイスラム保守派のライバルになりそうな勢力を暴力で排除する役目を担いましたが、翌80年にイラン・イラク戦争が勃発すると戦線に投入されます。

イスラム革命防衛隊(2008年9月21日) ©AFLO

 その際、既存のイラン国軍は、革命で打倒された親米派の旧政権の流れを汲んでいたので、政権を握っているホメイニ派から警戒されます。そこで革命防衛隊に優先的に予算や装備が支給され、やがて堂々たる軍隊に成長していきました。いわば革命防衛隊はイスラム革命を勝利した”本流”の軍隊なのです。かといって国軍は肩身が狭いとか、両軍が対立しているということではありません。

 実質的には、革命防衛隊と国軍を合わせてイランの「軍部」と見なすのが適切です。しかし、そのステータスや実力から、革命防衛隊が1軍で国軍が2軍のような関係性になっています。現在、革命防衛隊の司令官はホセイン・サラミ少将。国軍司令官はセイード・ムサヴィ少将です。そして、殺害されたソレイマニ司令官もそうですが、現在のイラン軍部の最高幹部は、ほぼ例外なくイラン・イラク戦争の生き残りであり、戦友意識で結ばれています。

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ホセイン・サラミ少将(2019年11月25日) ©AFLO

 国軍は徴兵兵士が多く、総兵力は約40万人。内訳は陸軍が35万人(うち志願兵13万人、徴兵22万人)、海軍が1万8000人(うち海兵隊2600人、海軍航空部隊2600人)、空軍が2万5000~3万5000人(うち防空軍1万2000人)です。ちなみに、イランでは国軍全体が「ARTESH」すなわち英文でいう「ARMY」と呼ばれているので、国軍のことを時に報道では「イラン陸軍」と報じていますが、正しくは「イラン国軍」のことです。