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22歳、ここで一人目の星野は死んだ

 このような考え方になったのは最初からではない。奨励会三段の時、8期で退会する予定だった。これを決めたきっかけは、三段に上がったばかりの頃の一局の練習将棋だった。こちらが先手で振り飛車対右玉の将棋だった。が打開していくのが難しくなってしまい、千日手模様だった。こちらは秒読み、相手は20分ほど残っていた。先手だし、持ち時間も自分だけないので自陣の駒を繰り替え相手の持ち時間を減らしながら打開の機会をうかがった。結局相手が打開して私が負けたのだが、終局後に「そういう棋譜を汚す行為は棋士になったらやめた方がいい」と言われた。

©文藝春秋

 たしかに自分は競技として将棋をしていて、将棋を伝統文化として捉える心や日本人の美徳と呼ばれるような心が欠けていると思った。帰り道、自分は棋士として相応しくないのではないか。なるべきではないのではないかと悩んだ。でも悩むのは嫌いだ。一刻も早く将棋に集中したい。家に着くころには気持ちが固まっていた。若いうちになれたらトップクラスを目指せるだろうし、棋士になることを許すことにした。それが8期という数字だった。

 8期目を迎えてからも奨励会を辞めることに未練はなかった。十二分に将棋をしたけれど、目標ははるか遠くて見えないし、これから新しいことを始められると思うと楽しみだった。しかし、周りからの説得で奨励会を続けることを選んでしまった。それまでは全速力で走ってきて、辞めてからも全速力で走るつもりだったけれど、親と絶縁してでもほかの世界でやってやろうという覚悟がなかった。大袈裟に言えばここで一人目の星野は死んだ。22歳、東日本大震災から2週間ほどたった時のことである。

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自分が100人いたら将棋界は潰れる

 そして将棋は楽しみでやり、好きなことを好きなだけやる遊び人に生まれ変わった。面白そうですぐにできそうなものはとりあえずやってみた。3年ほど経ち年齢制限で退会したあとの計画もあったが、予想に反して四段になった。まだ、AIがいまほど強くなくて、序盤でリードできることが多かったのが上がれた要因だろうか。一緒に上がったのが苦労人の宮本さんで自分のことのように嬉しかった。

名人戦棋譜速報のツイートより。この日、星野良生四段(1枚目の写真)は、順位戦C級2組8回戦で大橋貴洸六段に勝利した

 棋士になってから指導をする機会が増えたけど、教室などで教えて継続的に通ってもらうというのは難しいことだなと思った。私は一つのゲームとして面白い、続けたいと思う人が将棋をやればいいと思う。指導対局でもわざと負けることはしないし、入玉だって誰にでもする。入玉されたら詰められないのも将棋というゲームの一面だ。目の前のゲームに最善を尽くすことこそが相手への真摯な気持ちだと思うから。

「お前みたいな奴が将棋界をダメにするんだ!」

 そんな声が自分の頭の中からも聞こえる時がある。自分が100人いたら将棋界は潰れるし、5000万人いたら日本が滅びると思ったりする。でもその度に自分は一人しかいない。そういう奴がいてもいい。と肯定してあげる。自分に甘く、他人にも甘く。