辛抱強くゆらゆらしている人に惹かれてしまう
――先ほど最近になって1対1の関係に興味があると気づいたとのことでしたが、デビュー作『窓の灯』も、喫茶店に住み込みで働く主人公と店主の年上の女性が出てくるし、芥川賞受賞作『ひとり日和』も、70を超えた女性と一緒に暮らす話で。『すみれ』(12年刊/のち文春文庫)や『繭』(15年新潮社刊)もそうですし、女の人と女の人の話が多いというのは、気づいていましたか。
青山 はい、今は気づいています(笑)。ただ、意識的にそればっかり書いていたわけではなくて、とにかく毎回、その時に書いている小説に夢中で、今書くしかないというものを書いていただけなので、振り返ってみると感慨深いです。
歳の離れた女性同志の関係を書くことが多いのは、たぶん私が小さい頃、すごくおばあちゃん子だったことに関係しているのかもしれません。小学3年生の時、祖母が亡くなったのですが、幼いながらも、「ひとつの世界が終わってしまった」と感じたんです。そのなくなってしまった世界を恋しく思う気持ちと、小説を書くという行為は無関係ではないと思います。
――主人公たちが優等生タイプではないのも印象的です。デビュー作の主人公は大学を辞めているし、『魔法使いクラブ』(2009年刊/のち幻冬舎文庫)の少女は高校生の時に男の人と同棲を始めるし、案外、順調に人生を歩んでいくわけではない人を書かれますよね。『繭』ではDVを働く妻も登場します。
青山 実情はともかく、自分はそこそこまともっぽい道を歩んできてしまったなという思いがあります。10代の頃は、内心では海外に行って冒険してみたいと思っていたのに、まずは職を得て自立することが第一だと思って、無難な道を選んできてしまった。大学生の頃、映画の『ゴーストワールド』がすごく好きだったんですが、自分はイーニドに共感しているのに、やっていることはレベッカだな、というどこか後ろめたい気持ちがありました。ただ後悔はしていないし、作家になってからは「この道はぜんぜん無難じゃない、いいぞ」と思うのですが、だからか険しい道を行く人に惹かれます。険しい道を選ぶところまではいかなくても、絶対に楽な道は選べない人。選択肢の前で辛抱強くゆらゆらしている人というか、楽して安定しようとしない人に、どうしても惹かれるので、そういう人ばかり書いてしまいます。
それに、揺らいでいるからこそ、人と人の関係はどんどん変異していくと思うんです。確固とした自我を持っていても不意に揺らぐ瞬間はあって、その瞬間に誰かがぶつかるときに起こる何かが、とても官能的だなと思う。人と人がどういうふうに飲み込み合ったり反発しあったり引き離されたりして変異していくのかという関心が一番強く現れているのが『繭』かもしれません。
――そう、『繭』のインタビューの時に、青山さんが「最近、人の関係性に興味があると気づいたんです」とおっしゃって、「いやいや読者はそんなこと前から気づいてましたよ」と言ったんですよね(笑)。
青山 なんか、私、いろいろ気づくのが遅い時があるんですよね(笑)。嫌になりますけど、他の人はともかく私が気づくためにはそれだけの時間が必要だったんだなっていつも思う。でも実際、小説を書く時でも実生活でも、自分は関係性マニアというか、親しい誰かと誰かが互いをどう名前を呼び合っているかとか、食べ物の好みはどのくらい違うのかとか、そういうちょっとした細かい情報がすごく面白いと思ってしまうんです。
――一般的にカテゴライズしやすい関係性を描いているようで、実はそうではないことも多いですよね。『花嫁』(12年刊/のち幻冬舎文庫)は長男の婚約をめぐり、両親や妹のさまざまな思いが交錯する家族小説ですが、実はこの家族には秘密がある。『わたしの彼氏』(11年刊/のち講談社文庫)は可愛いタイトルですが、とにかくモテるけれども主体性のない青年が主人公。九段の花街で育った男女の話『めぐり糸』(13年刊/のち集英社文庫)も、恋愛小説のようでいて不思議な絆が描かれる……。
青山 家族とか友達とか恋人といった名前のつかない、その二人でしか成り立たない特殊な関係をたくさん見つけたいと思うんです。一見奇妙な二人組に見えるけれども、そういうどこにもカテゴライズされない、いろんなバリエーションの関係をいっぱいコレクションしたいという欲求が強いのかもしれなせん。街中とか電車の中でも、ぱっと見で関係性がわかりづらい二人組をよく探しています(笑)。