日常は最大のミステリー。散歩しているだけでも常に冒険してる
――『繭』の女性2人も、『風』(14年刊/のち河出文庫)に出てくる女性2人の友情の変化の話「二人の場合」も、ヴェニスを旅行する二組の日本人夫婦のいびつな関係を描く『快楽』(13年刊/のち講談社文庫)も関係性の話です。
青山 『快楽』は関係採集欲が極まっている感じの話でしたよね。いびつで猥雑な関係ばかりです。あの話は実際にヴェネツィアに取材に行って、向こうでは何も書かなかったのですが、帰ってきてから狭い部屋で3ヶ月くらいじーっと集中して書き上げたものでした。一歩も部屋の外に出なくても、自分は紙と文字で冒険していると常に思っていたいです。
――ああ、前にインタビューで「日常のことを書いていても冒険している気持ちになる」とおっしゃっていましたよね。それがすごく印象的でした。
青山 やっぱり日常というのが最大のミステリーじゃないのかなという気持ちがあって。身の回りのこと、目に見えているものをよく見れば見るほど、その物自体がわからなくなることはありますね。紙と文字でも冒険とは言いましたが、外に出て近所を散歩するだけでも、やっぱり冒険している気分になるんです。さきほどお話しした『快楽』の取材のついでにイタリアのボローニャに行った時、雨宿りで大きな美術館に入ったことがあって。そこに花瓶とか瓶とか、同じようなものばかり描いている人の絵がたくさん並んでいる部屋があって印象に残りました。それはジョルジョ・モランディの絵だったのですが、去年東京駅のステーションギャラリーで展覧会があったんです。偶然ポスターを見かけて、あっボローニャで見たあの人の絵だと思って、観に行ったらすごく良かった。そこで知った彼の言葉に「目に見えるものほど抽象的なものはない」というのがあって、ああ、すごくそうだな、わかる、と思いました。今もよく思い返して、考えています。
――ところで、『めぐり糸』の時に、「裏海外文学」をやっている、というお話を聞きまして。先行作品に影響を受けて書いた作品がいくつかありますが、今回の『ハッチとマーロウ』もそうなりましたね。
青山 そうですね。『めぐり糸』は『嵐が丘』、『快楽』は日本の小説ですが、『武蔵野夫人』でした。そして今回の『ハッチとマーロウ』が『おちゃめなふたご』になりますね。ある小説に捧げる特殊な愛情の表現として、書くという方法しかない、ということがあります。
――青山さんは書評も書かれるし、幅広く読んでいますよね。
青山 毎日何かしら読んでいる時間はあると思うんですけれど、読んでいると、書かれている内容とは全然関係ない言葉とイメージが思い浮かぶ本があるんです。そういうものが浮かんだときには、いったん本を脇に置いてパーッと書く。私はフラナリー・オコナーには学ぶところがいっぱいあると思っていて、作家としての姿勢だとか、作品の意味するものについてはじっくり考えていきたいところなんですが、まずは彼女の書く文章じたいにものすごい魅力があると感じるんです。オコナーのエッセイをまとめた『秘儀と習俗』という本があります。その本の最初に彼女の大好きな孔雀について書かれた短いエッセイがあるんですが、それを読んでいると、すごくいろんなことを思いつきますね、なぜか(笑)。
――ところで、来年フランスに行かれるという噂を耳にしました。大学の制度で、海外の作家を長期間滞在させてくれる制度があるとか。
青山 向こうのライター・イン・レジデンスに滞在できることになったので、1月と2月の2か月フランスに行くことになっています。不安なところもありますが、海外に長く行くのは久々なので楽しみです。場所は「ナントの勅令」のナントの近くで、目の前が海だそうなんですが冬はめちゃめちゃ寒くて暗いらしく、あんまり外出せずに孤独に過ごすかもしれません(笑)。
――デビューして12年、芥川賞から10年。今後のことはどんなふうに考えていますか。
青山 今後のことというより、次に何を書くかということしか考えられないですね。今はいくつか構想があるのですが、直近で始まるのは、若い小説家を主人公にした作品です。私の小説にしては珍しく、野心家で行動力があって自信たっぷり、そしてやっぱり揺らいでいる主人公です。「小説幻冬」での不定期連載になります。