「手持ちの札を使うしかないんです」
―― すごく意外な感じが……。岩波書店の中でも異色の経歴なんじゃないですか。
まあ、こんなこと(佐藤正午さんの本を指して)やっているんだから、ここに合っているキャラではないことは確かじゃないですか?(笑) いくら岩波書店の原点が、当時の流行作家だった夏目漱石の『こころ』だったとしても。
入社したのは、26歳になったばかりの頃です。石油会社で3年ほど働きました。留年するほどカネもないし、留年したからと言って希望する仕事に就けるわけでもないし。食って行かなきゃいけないから、とにかく働くかという感じでした。
―― 『月の満ち欠け』の主人公・小山内堅は石油会社勤務でしたよね?
はい(笑)。僕は小山内と同じく青森県八戸市出身で、大学から上京してきました。
正午さんは会社勤めをした経験がないんですね。『月の満ち欠け』全体の物語がある意味で荒唐無稽なものだとすると、それを支える細部はリアルなものじゃないと。細部に嘘があれば、全体が嘘になってしまう。「できるだけ細かいところに嘘がないように、注意しましょう」と正午さんとお話をして。そうすると手持ちの札を使うしかないんです。
週刊誌の“書き手”と“データマン”のような関係
―― 物語の冒頭、小山内は15年前に18歳で亡くなった娘「瑠璃」の「生まれ変わり」だと話す小学生の女の子「るり」に会うため、はるばる八戸から東北新幹線に乗って東京駅に降り立ちます。たとえば、東京ステーションホテルやカフェ「TORAYA TOKYO」のシーンはどのように取材されたんですか?
正午さんが「東京駅の近くで人目につかないような喫茶店とかない?」って。あるわけないじゃないですか(笑)。それで東京駅や、その周辺のホテルや店を僕がロケハンして、11時に開店しているお店を探し回りました。「はやぶさ」の到着時刻の都合上、より雰囲気がぴったりのお店でも11時30分開店ではダメだったんです。新幹線の到着ホームは20番線としていたところ、直前のダイヤ改正で21番線に変わっていて、あわてて修正したりもしました。
―― フィクションを本物に見せるには、手持ちのカードで勝負するしかないわけですね。
たとえば小山内の住んでいるところは、東京から日帰りで行き来できる場所なら新潟でも名古屋でもいいんです。でも、僕も正午さんも土地勘がない。「じゃあ八戸にしましょう」と。もう一人の主人公・三角哲彦のアルバイト先は、僕が学生時代に働いていたようなレンタルビデオ店の設定です。他の登場人物の背景も、僕の友人たちの仕事をいくつか挙げて、「この業界だったらきちんと詳しく話を聞くことができます」と一緒に検討して。
―― まるで、週刊誌の書き手とデータマンみたいな間柄です。
そういう意味では、データマンとして集めて提供して、それをもとに正午さんが骨格を組み立てて、物語の中にうまくおさめていただいたという感じですね。
―― アルバイト先のデータまで提供されていたとは……。
高田馬場にあったレンタルビデオ店です。場所は、現在のTSUTAYA高田馬場店のすぐそば。早稲田通りから細い路地を入ったビルの地下で営業していた「アドベンチャー」というお店でした。
―― もともと映画はお好きだったんですか?
八戸の映画館で観ていましたね。洋画が多かった。なんでも観ましたけど、けっこうバイオレンスものやギャングものが好きだったですね。サム・ペキンパー監督の『ワイルドバンチ』(1969年)とか、あの手のものです。ペキンパーの他の作品にも出演していましたが、ウォーレン・オーツという役者さん。脇役ですが、彼が初めて主演をやった『デリンジャー』(1973年)という実在したギャングを描いた映画は大好きですね。監督はバリバリの右翼だったジョン・ミリアス。確か1975年に映画館で見ているので、小学校の5年のときじゃないかな。ませていますよね(笑)。『ボルサリーノ2』(1974年)を観たのもその頃かな。その一方で、ウディ・アレンも好きだったりするんですけど。
『月の満ち欠け』に出てくる映画なら、『天国から来たチャンピオン』(1978年)。家にDVDもあります。主演だけでなく、製作や監督も務めているウォーレン・ベイティは才気あふれる人ですね。彼がアカデミーの監督賞を獲った『レッズ』(1981年)も大好きな作品のひとつです。