『月の満ち欠け』(佐藤正午 著)

 嘘をほんとうに見せる。実生活で試してバレたら相手の怒りを買うか、へたをすると犯罪にもなるが、小説家と読者のあいだでやるなら話は別だ。みごとにだませばだますほど、賞賛され、感心され、喜ばれる。

「生まれ変わり」という、常識的に信じられるはずがないフィクショナルな設定を、佐藤正午がこの『月の満ち欠け』という恋愛小説にあえて持ち込んだのは、「嘘をほんとうに見せる」小説家としての手腕に相当な自信があってのことだろう。そう身構えて読んだが、熟練の技にみごとに引きずり回され、ものの見方も少し変わったように思う。巻末の参考文献リストすら、小説の装置のひとつに見えてくる。

 小説には二種類の時間が流れる。軸になるのは、東京駅のホテルのカフェで、ひとりの男が一組の母娘と対面している午前十一時から午後一時過ぎまでである。向かい合う母親は有名な女優だが、小山内という名前の男が八戸から上京してきた目的は娘のほう、「るり」という名前の小学生に会うためである。

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 小山内の娘の「瑠璃」は、十五年前、十八歳のとき交通事故で死んでいる。その「瑠璃」の生まれ変わりだという「るり」に、小山内は警戒心を崩さない。初対面でコーヒーの好みを言い当てるなど、いくつか証拠を示されても、固い構えはゆるがない。

 あらかじめ決めてある帰りの列車の時間までの対面は時系列で描かれ、合間に、彼らの運命にかかわりを持つ人々の物語が語られる。小山内の家族に起きたできごとや、この日、遅れて合流する予定の三角という男と「瑠璃」という名前の人妻との恋、「瑠璃」という名前を持つはずだった少女も含めると四人の「瑠璃」の上に流れた三十余年の時間が、小山内の視点を通して語られる。

「月の満ち欠け」とは人の生死にかかわる言葉で、三角の恋人だった「瑠璃」はかつてこう語った。神様は、最初の男女に選ばせた。樹木のように死んで種子を残す道と、月のように死んでも何回も生まれ変わる道と。出典の怪しいその「有名な伝説」を開示して、「あたしは月のように死ぬ」と宣言した恋人が地下鉄にはねられ死んだあと、三角は彼女の死を自死と受け取り、生まれ変わった「瑠璃」が自分を訪ねて合図を送るのを待つようになる。

 膨大な記憶の海の中から、人は意味を持たないものを忘れていく。作中に出てくる瑠璃という名が由来する格言(「瑠璃も玻璃も照らせば光る」)のように、それまで意味を持たなかった小山内の過去のできごとに初めて光が当てられ、彼の中で次第に形をとり始めるその過程が鮮やかで、最後に語られる、もうひとつの恋の物語に小山内同様、不覚にも心動かされたら、作家の術中にまんまとはまった証拠だ。

月の満ち欠け

佐藤 正午(著)

岩波書店
2017年4月6日 発売

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