弟子になって3年、弟子を辞める決意を告げると……
弟子になって3年。四六時中、志村を支え続け、ネタを考える時間が欲しいと考えたげそ太郎氏は弟子を辞めることを決意。志村にそのことを告げると、一喝された。
「『弟子を辞めさせてください』とお話ししたときに志村さんに怒られたんです。『ダメだ。お前、この3年の間に何もやってないじゃないか。環境を変えたら自分ができると思っているかもしれないけど、やる人はどの環境にいても絶対にやるからな。俺もドリフターズに坊や(付き人)で付いていたときに、坊やの仕事をしながらメンバーやスタッフを笑わせていた。与えられた環境で何もしていないお前は他へ行っても何もできない』と言われました」
志村は一度、ドリフターズの付き人を辞めて、バーテンダーなどをした過去があった。1年半後に付き人に復帰し、お笑いコンビ「マックボンボン」での活動を経て、ドリフターズの一員となった。げそ太郎氏は、それを機に毎週ある志村の番組会議にネタを出すようになった。
「僕の出すネタは当然、会議では箸にも棒にも掛からないんですけど、ある時、家族コントが1本通ったんです。それから2本、3本と少しネタが通ると、志村さんから『メシ食いにいくか?』と声を掛けてもらって、『お前はやればできるんだから、芸人としてがんばれよ』と照れ屋の志村さんが初めて褒めてくれました。97年に、ディレクターさんが志村さんに『こいつがんばっているので、バカ殿の家来にも使ってみませんか』と助言してくれて、『バカ殿様』への出演が決まり、志村さんと念願の共演ができました。心の底からうれしかったですね」
志村さんがコントで大切にしていたのは「内面のリアリティ」
当初、「芸は教えられない」と弟子を突き放した志村だったが、げそ太郎氏は多くの芸を師匠から教わっていた。
「志村さんがコントで大切にしていたのは、リアリティでした。『コントの入りが“そんなこと現実にないよ”と最初に視聴者に思わせてしまうと、見ている人は入り込めない。最初は現実的な日常じゃないといけない。そこからどんどん進んでいって、最後はもうリアルじゃなくても関係なくなるんだから』と。
そしてコントで演じるときは、演技の前段階をよく考えろと口酸っぱく言われました。例えば、志村さんが酔っぱらいの役をやるときに『オレはいつも演じる酔っぱらいが、うれしくて飲んでいるのか、悲しくて飲んでいるのか、怒って飲んでいるのかを考えてやっている。それによって演技やセリフも大きく変わってくる。演技の前の気持ちを作って、セリフを言わないとダメだ』と丁寧に教えていただきました」