「祈る」ことで何かが解決すると思っていたら……
朝日記事では、前年(2016年)に昭恵さんにインタビューした社会学者の西田亮介氏の言葉も紹介している。
《戦前の強かった日本が好きだという心情と、スピリチュアル、エコロジー。それらが混然一体になっている感じでした》
西田氏は昭恵さんへのインタビューで「主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんです」という言葉も引き出していた。
信仰の自由があるし、特別な信仰がなくても自然とか自分より大きなものを敬う気持ちはとても大事だと私も思う。
しかし、もし偉い人が「祈る」ことで何かが解決すると思っていたら……首相会見でポエム的なメッセージや精神論が多いのはここに「要因」の一つがあるのでは? と余計な下世話も考えてしまった。
布マスク2枚配布や星野源動画との「コラボ」は側近の進言をそのまま取り入れたというが、それほど身内重用なら夫人の影響だって高いだろう。石井ルポにはこんな考察もある。
《「あなたは天命で神によって首相に選ばれた」と信じきっている妻の言葉よりも強い励ましはないはずだ。年の若い、この妻は夫にとって、それこそ天衣無縫な巫女のような存在なのではないだろうか。》
これを読んでしまうと、昭恵さんの言動は単なる「お騒がせ」レベルのネタではないように思えてきた。
著書『「私」を生きる』名言の数々
気になったので昭恵さんの著書『「私」を生きる』(海竜社、2015年)を読んでみた。
2007年に首相夫人という「型」がなくなったとき、「五十歳からの人生に向けて、安倍晋三の妻としてより、一人の女性、安倍昭恵としてどう生きるか考えたい」と思ったのだという。
“名言”がたくさん出てくる。
・あえて入念な下調べをせず、特定の目的意識も持たず、とにかく現地に行ってみて、自分の目で現状を見る、そこにいる人たちの話を聞く。そのなかで直感的に「取り組みたい」と思ったことを、次の活動につなげる。
・別に霊感があるわけではありませんが、私にはそれが神の声に感じられました、自分が進む方向はいつも、このように決まります。
・その直感的な判断が間違っていたということはほとんどありません。私は、自分の直感をとても大事にし、信じています。