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渋谷駅前停留所から道玄坂が見える

 小田証券は1957年に大興証券へ商号変更し、1965年に偕成証券に合併された。偕成証券は1998年に日本グローバル証券に商号変更、2004年にライブドア証券、2007年にかざか証券へ商号変更、2014年に内藤証券に吸収合併されている。渋谷支店はない。こちらも歴史の追跡はたいへんだ。

 写真中央に建物の影が落ちている。南側に大きなビルがあるようだ。屋上の看板の文字は「山一」と読める。山一証券もすでにこの世にはない。それにしても証券会社が多い。好景気を象徴するオフィス街だ。渋谷駅周辺は投資家が多かったかもしれない。東横電鉄は既に開通しており、田園調布も分譲から約30年経っている。

筆者が場所を特定するために行った検証作業の一部

「カバンとハンドバッグの平和堂」も行方不明。しかし、道路を挟んだ「宮田家具店」に決定的な手がかりがあった。この会社は存続しており、現在の総本店は東京都稲城市。公式サイトには「創業100年の信頼と実績」を掲げ、沿革が掲載されていた。

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〈明治40年6月、初代宮田家具総本店・店主、宮田藤吉が東京渋谷道玄坂にて家具販売業を開始いたしました。藤吉はフランチャイズのフの字も話題に上らない時代に、弟・妹を指導しつつ現在の所謂フランチャイズチェーンを作り上げ、基盤を固めました〉(宮田家具店Webサイトより)

 なるほど、写真にも「チェーンストアー」の文字がある。この店は道玄坂だとわかった。しかし、なぜ渋谷駅前停留所から道玄坂が見えるのか。調べたところ、1923年から1957年まで、都電の渋谷駅前停留所は渋谷駅西口にあった。

東急百貨店東横店東館は既に解体されているため、渋谷ヒカリエから文藝春秋の写真とほぼ同じ角度で撮ってみた。宮田家具店跡地はマツモトキヨシ、その手前の西村果実店は健在(筆者撮影)

アーチの下に忠犬ハチ公の銅像が見える

 なるほど、それならこのアングルで都電が映っているわけだ。いや、そもそも1952年というキーワードで都電の歴史を当たればよかった。なんという遠回り。この場所は渋谷の象徴、スクランブル交差点のあたりだとわかった。文藝春秋の写真はすこし高い位置から撮っている。おそらく東横百貨店からの眺めだと思われる。

 よくみると、動物祭のアーチの下に忠犬ハチ公の銅像が見える。ハチ公のそばだから動物祭のアーチを置いたと思う。さっさと気付けよ私、と思った。探偵気分で古い写真から現在の様子を探す旅。結論まで遠回りしたけれど、タイムトラベルのようで楽しかった。

1955年、渋谷駅西口に都電の停留所があった頃の様子。当時のハチ公像は駅前広場中央にあった。この写真はハチ公像から見た様子だ。富士銀行は現在もみずほ銀行として営業中。駅舎の向こうの東横百貨店はのちに東急百貨店東横店東館となり、現在は取り壊されている ©文藝春秋
同じ場所の現在の様子。みずほ銀行の青い看板が見える。なお「ハチ公口」の通称は1984年から(筆者撮影)
1923年から1957年まで、都電の渋谷駅前停留所は渋谷駅西口にあった(地理院地図を加工)