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連載この鉄道がすごい

2020/07/03

もともと玉川電鉄だった34系統

 34系統(渋谷~金杉橋)は明治通りを南進して渋谷橋、天現寺橋を通り、古川橋を左折して麻布十番付近の一ノ橋で右折、赤羽橋、芝公園を通って金杉橋に至る。金杉橋は都営地下鉄大門駅の南側、首都高浜崎橋インターの近くだ。ここから南北方向へ都電1系統に乗り換えられた。

 6系統、9系統、10系統はすべて宮益坂を上っている。この3つの系統の渋谷駅前停留所は一方通行だ。青山通りの宮益坂上で上下線が分離し、大きなループ線になっていた。

 34系統だけが渋谷駅折り返しになっている。この路線はもともと都電ではなく玉川電気鉄道の線路だったからだ。玉川電気鉄道は玉川(現・東急電鉄二子玉川駅)と渋谷を結び、さらに渋谷から国鉄の線路を潜って天現寺橋まで延伸した。途中の渋谷橋から分岐して中目黒に至る路線もあった。

 1937年に玉川電鉄は国鉄渋谷駅に隣接した玉電デパートを建設した。このときに玉川電鉄は渋谷駅で分断された。玉川方面は玉電デパート2階プラットホームを発着。天現寺橋方面はあらたに渋谷駅前停留所を作り、運行を東京都電に委託。その後都電に吸収される。

渋谷駅を起点とする都電のルート(地理院地図を加工)

「渋谷の都電」写真のナゾを解く

 歴史ある文藝春秋社なら「渋谷の都電」の写真があるに違いない。文春オンライン編集部に探してもらったところ、こんな写真があった。広い交差点の手前に電車が1台。いや、左下の影の部分にもう1台の電車がある。

 人通りは多く賑やかな場所だけど、私が想像していた渋谷とは雰囲気が違う。これは本当に渋谷か、渋谷だとしたらどこだろう。交差点と線路の位置関係から、宮益坂ではないかと思った。しかし、それなら奥に山手線の線路があるはずだ。それが見あたらない。

文藝春秋社が所蔵する渋谷駅前停留所付近の写真 ©文藝春秋

 この写真にはいくつか手がかりがある。中央部の「上野動物園 動物祭 創立七十年記念」のアーチだ。上野動物園の開園は1882(明治15)年だから、この写真は70年後の1952(昭和27)年頃である。いまから68年前。戦後復興が進み、朝鮮戦争特需で経済成長が始まった時期だ。コートを着た人々。上を向いて歩く人が多い。電車の前を歩く男女が幸せそうだ。

 次のキーワードは左上の日新火災海上という看板。日新火災海上は現存するけれど、現在は渋谷支店がない。当時、渋谷支店はどこにあったか……問い合わせようと思ったけれど、社史をひっくり返す手間は大きい。遠慮してほかのキーワードをあたろう。小田証券という看板がある。この会社は現存しない。ネットで調べたところ渋沢栄一氏が関わった会社の社史を公開する「渋沢社史データベース」の中に東京証券取引所の年表があった。

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